トップページ > くらし・手続き > 人権・男女共同参画 > 人権 > 心の輪 > 心の輪(人権に関する連載) 23年度 > 「障害」は社会が作るもの (めぐろ区報 平成23年11月25日号に掲載した記事です)

更新日:2015年9月29日

ページID:439

ここから本文です。

「障害」は社会が作るもの (めぐろ区報 平成23年11月25日号に掲載した記事です)

平成23年11月

今、障害を考える視点と解釈が大きく変わりつつあります。

かつては、身体障害などの障害をもつ人には、本人の障害ゆえにできないことがあるということが、その人の宿命のように解釈されていました。また、本人もそのことを諦めざるをえないような状況に立たされていました。しかし現在では、障害をもつ人が生き生きと生活できないのは、障害をもつ人個人の責任ではなく、社会に問題があるという考え方に変化しつつあります。つまり、施設などの整備や人的な支援など、社会に特別の配慮さえあれば、その人に障害があっても、生活をしていくのに大きな問題とはならないということです。

このような考え方は、今年8月に改正された障害者基本法にも取り入れられています。

また、障害者の自立に対する考え方についても大きく変わってきています。

かつては、障害が重いと自立などはありえない、という考え方が社会の中で支配的でした。自らお金を稼ぎ、身の回りのことを自ら行う「経済的自立」や「身体的自立」が可能でなければ自立できない、という考え方です。しかし、障害が重くて「経済的自立」や「身体的自立」が難しくても、ヘルパーなどの制度を利用して、自分らしく生きることができる、自立することができる、という考え方に大きく転換してきました。

北欧で生まれた、普遍的な平等を目指すノーマライゼーション思想も、当初は「正常化」と直訳され、健常者に合わせて正常な生活に近づけていくという発想でした。

しかし、人権思想が高まる中で、ノーマライゼーション思想も「社会の中には必然的に障害者が存在する」「障害者を一般市民と区別するのではなく、障害をもった普通の一市民である」と解釈するように進歩してきました。無理に健常者と同じような状態を目指すのではなく、自らの障害を否定せず、ありのままの姿で生きていくことが可能になる社会が、ノーマライゼーション思想の理想とする社会です。

人がともに幸せに生きていくためには、お互いの配慮が必要です。今後私たちは、社会がすべき配慮について、さまざまな面で考えていく必要があるのではないでしょうか。

お問い合わせ

人権政策課

ファクス:03-5722-9469