更新日:2016年3月4日

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目黒の地名 別所(べっしょ)

「目黒の地名」は、「月刊めぐろ」(昭和55年8月号から昭和58年4月号)の掲載記事を再構成し編集したものです。

目黒の地名 別所

目黒が六か村に分かれていたころ、現在の駒沢通り辺りから駒場に至る広い地域は、上目黒村と呼ばれていた。「別所」は、この上目黒村の字名の一つで、現在の青葉台一丁目、上目黒一丁目、中目黒一丁目にあたる一帯が、その地域。

広重 目黒元不二(別所富士)

ほぼ全域が、別所台、鎗ヶ崎と呼ばれる渋谷区境の高台から、目黒川の谷へ下る傾斜地であり、眺望がきくところから、古くは要害の地、江戸時代以降は富士のながめのよい景勝の地として知られてきた。特に、麻布辺りから、この地を通って行楽地目黒に入る二本の街道沿いに築かれた富士塚、「元富士」「新富士」は、広重の浮世絵に描かれ、江戸名所として見物人や参詣人が絶えなかったといわれている。

さて、「別所」という地名は他の地域にも多いが、一般に、昔からの集落である本村(もとむら)に対して、追加開墾を許された土地を意味する地名といわれており、また、これから派生して「行き詰まりの場所」を指すとの説もある。目黒の「別所」も、上目黒村の本村(もとむら)の川向こうにある急峻な傾斜地であるところから、遅れて開墾された、まさに「行き詰まり」の地であったと想像される。

ちなみに、現在の上目黒一丁目の目切坂上に築かれた「元富士」は、土地の名を採って別名「別所富士」と呼ばれ、一方、旧三田村字鎗ヶ崎の高台にあった「新富士」の下から中目黒一丁目・二丁目の境を目黒川へ下る、折れ曲がった長い急坂は、「別所という土地へ下る坂」という意味からであろうか、「別所坂」と名付けられている。

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