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目黒のみち 旧大山道
「目黒のみち」は、「月刊めぐろ」1972年3月号から1984年2月号の掲載記事を再構成し編集したものです。
目黒のみち 旧大山道
神奈川県丹沢山塊のひとつ大山は、雨降山(あふりさん)とも呼ばれ、かつては雨乞いの霊山として参拝者が絶えなかったといわれる。目黒からも江戸時代に幾度か出掛けたことは、民話「目黒の雨乞い」でも知られている。
青葉台四丁目の大坂
江戸から大山へ向かう道(大山道)は幾つか開かれていたが、中でも赤坂見附から青山、宮益坂、道玄坂を経て青葉台四丁目の大教寺前の急坂(旧大坂)を下り、大橋氷川神社下を通って池尻へ抜ける道が享保年間からの主要道であった。今の玉川通りがほぼそれに当たる。この道はまた、相州道、二子道、厚木街道、矢倉沢往環とも呼ばれて、伊豆の炭やわさびが馬の背に揺られ、相模川の鮎が若者に担がれて江戸へ運ばれた、物資輸送路でもあった。
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