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〒153-8573 東京都目黒区上目黒二丁目19番15号 電話 03-3715-1111 (代表)案内図


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西郷山の従道邸

更新日:2008年2月1日

青葉台二丁目周辺は、別名西郷山とも呼ばれている。それは、明治の初めに西郷隆盛の弟従道(じゅうどう)が付近の地形を生かした広い庭園を造り、立派な建物を構えていたからである。

明治村に保存されている西洋館の写真
明治村に保存されている西洋館

兄隆盛のために購入

このあたりは、江戸時代、「荒城の月」で知られる豊後(今の大分県)の岡(竹田)城主、中川修理大夫しゅりだいぶかかえ屋敷であった。樹木がうっそうと茂り、池に三田用水から水を引くなど、林泉の美しさは近郊随一とうたわれた。

明治天皇も来邸

その後、2万坪に及ぶこの屋敷は、明治維新のとき征韓論を主張して破れ、下野した兄隆盛のために、従道じゅうどうが手に入れたのである。

西郷従道じゅうどう(1843年から1902年)は、明治2年に山県有朋やまがたありともらと欧州を視察後、わが国の兵制や警察制度の制定、殖産興業政策の推進に尽力した。兄の下野にもかかわらず、英明な従道じゅうどうは新政府の要職につき、文部卿・陸軍卿・農商務卿・内務卿・海相などを歴任した。

西南の役(明治10年)で隆盛が自刃した後は、この地を自らの別邸とした。

明治天皇も来邸

洋館・書院造りの和館などを配置した回遊式の庭園は、東京一の名庭園といわれ、名士が訪れることも多かった。特に、従道が海軍大臣であった明治22年には、明治天皇の行幸や、皇后・皇太后の行啓があった。天皇は、庭園での大相撲や薩摩踊りを、また皇后は、当時従道が後援していた養蚕技術の改良成果の展示を熱心に観覧したと伝えられる。

邸内には、養蚕所のほか農園・果樹園もあり、機織りやトマトソースの製造・缶詰加工も行われていたという

行幸の碑
行幸の碑

耐震性を考えた西洋館

広々とした芝生や、大王松だいおうまつ・ヒマラヤ杉・落羽松らくうしょうなどが茂る樹林に囲まれ、清浄な池に面した西洋館の建築には、フランスの建築家レスカースと棟梁とうりょう鈴木孝太郎が携わった。

西洋館は、鹿鳴館をしのばせる本格的なヨーロッパ様式で建てられ、暖炉・錠前のほか建具類はほとんどフランス直輸入の品を使用した。また、屋根は垂木たるきを省いたり、金属板を葺くなどの軽量化が図られた。さらに、建物の四隅には通し柱を配置、壁の中にはれんがを積み建物の浮き上がりを防ぐなど、当時では、他に類例の見られない耐震設計がなされていた。

跡地は公共施設に

従道じゅうどうの死後は、二男従徳じゅうとくが昭和16年に渋谷に移転するまで、本邸として使用していた。その後、同邸の所有は箱根鉄道・国鉄と移ったが、空襲で和館が焼失したり名木が枯れるなど、往時の面影はほとんど失せてしまった。わずかに残された西洋館は、国鉄官舎や当時のプロ野球国鉄スワローズの合宿などに利用されていたが、昭和38年、愛知県犬山市の「明治村」に移され、後、国の重要文化財に指定された。

現在は西郷山公園・菅刈公園として整備され、新たな憩いの場となっている。

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所在地 〒153-8573 目黒区上目黒二丁目19番15号

電話 03-5722-9480

ファックス 03-5722-9395

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