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歴史を訪ねて 街道筋の助郷制度

更新日:2016年3月4日

「歴史を訪ねて」は、「月刊めぐろ」昭和54年6月号から昭和60年3月号の掲載記事を再構成し編集したものです。

街道筋の助郷制度

「旅舎数百戸軒端を連ね、常に賑はしく、往来の旅客絡繹として絶えず」

東海道は江戸と上方を結ぶ江戸時代の大動脈であった。その53宿のひとつ、品川宿は「江戸名所図会」に記されているように、活気のある町だった。幕府は各街道筋に宿駅を設けて、公用の旅行者や荷物を宿駅から宿駅へと送る伝馬制度を敷き、これに必要な人手や馬を常備することを各宿駅に義務付けた。その補充として、宿駅周辺の村々に課役を負わせたのが助郷すけごう制度である。

農民にのしかかる苦役

助郷すけごう制度が確立されたのは、諸大名の参勤交代などで交通量が増えてからのことであった。元禄7年(1694年)品川宿に定助郷すけごう16カ村、大助郷すけごう38カ村が指定された。宿駅常備の人手や馬で足りなくなると定助郷すけごうにお触れを出して応援を頼み、それでも不足の場合や大名行列が通るときに大助郷すけごうを頼んだ。
交通量は増える一方で、正徳2年(1712年)には58カ村が助郷すけごうに指定された。その範囲は阿佐布(麻布)町や中渋谷村・下渋谷村までに及び、三田村・上目黒村・碑文谷村も初めて助郷すけごうに加えられた。

助郷すけごう役には報酬として賃銭が支払われたが通常賃銭の半分くらいにしかならず、遠い村から往復に1日2日かかってもその分は無償であった。また、幕府公用の旅行者は農繁期に多く、村では助郷すけごう役に差し出す農民が間に合わずに代わりに金銭を差し出すこともあって、村の財政は圧迫された。享保年間に差し出した助郷すけごう役は三田村・上目黒村・碑文谷村合わせて、日に100人を超えた。

「御鷹野と下の難儀」

助郷すけごう村の農民は天下の農民中、最も大きな苦痛を受けたといわれるが、品川宿の助郷すけごう村の多くは目黒筋の御鷹場と重なっていたため、鷹場の管理や整備、将軍家御成りのときの炊き出し、道具の運搬なども命ぜられた。特に上目黒村は鷹の生餌である「ケラ」捕りも命ぜられ、夜中にちょうちんの明かりを頼りに田のあぜを探し回ったという。「上(将軍)の御好きなもの、御鷹野と下の難儀」といわれたほど、農民の負担は大きかった。

さらに品川の村々には、江戸城内で鑑賞するホタルや、御膳御用の生タンポポ、薬用の赤ガエルなどさまざまな注文が出され、その数や大きさ、納める時刻まで厳しく指定された。

助郷赦免之儀願出候

「一、高千七拾弐石、上目黒村、右者只今迄品川宿助郷相勤候処、外村々御拳場(御鷹場)と違、駒場野御用、其上同村御用屋敷并武士抱屋敷、御留場御用等品々相勤候ニ付、助郷赦免之儀願出候ニ付……」

重なる負担に耐えかねた上目黒村は、享保14年(1729年)に助郷すけごう免除を願い出て、これが認められたが、代わりに荏原郡下沼部村・上沼部村が助郷すけごうに指定された。また安政5年(1858年)に幕府の砲薬製造所が三田村に設けられたことから、同村もその分を軽減された。

このように軽減されたり免除された村々はともかく、助郷すけごうの村々は過重な負担にあえぎ、宿場とのいざこざが相次いだ。宿場は宿場で常備の人馬を隠して助郷すけごうに押し付け、重い荷物は助郷すけごうに回す、助郷すけごう助郷すけごうで宿からお触れがあっても人馬を差し出さないことが度々であった。そんな中で、朝鮮使節来朝・日光東照宮150回忌と度重なる負担に、中山道の助郷すけごう村の農民がついに蜂起した。明和元年(1764年)から翌年にかけての「伝馬大騒動」には、武蔵・上野こうづけ下野しもつけの農民20万人が加わったといわれる。

揺れる幕藩制度と助郷

嘉永6年(1853年)、アメリカ合衆国の通商使節ペリーが来航し、長い鎖国が解かれると、世の中は騒然となった。皇女和宮が14代将軍家茂に降嫁し、参勤交代制の緩和によって国許に帰る諸大名の妻子が相次いだ。そして、二度の長州征伐。それらの負担は、ことごとく助郷すけごうに負わされた。

慶応元年(1865年)、上目黒村をはじめ、かつて助郷すけごうを免除された村々も、再び助郷すけごうに編入されたのである。同年、宿場の不正を疑った戸越村・小山村・大井村が騒ぎたて、名主が中に入って宿と助郷すけごうが議定書を取り交わして、ようやく収まるという事件があった。
極限状態にあった宿駅制度は明治5年、新政府の手で廃止されたのである。

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