更新日:2013年9月5日

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歴史を訪ねて 歴史年表 1829年から1922年

1829年から1922年の年表
西暦 年号 目黒地域のできごと 関連事項・参考
1804年から1829年 文化・文政年間
  • このころ江戸の代表的祭礼ばやしとして「目黒ばやし」が最盛期を迎える
 
1842年 天保13年
  • 目黒地域の竹の子の掘出期間が制限される
 
1856年 安政3年
  • 三田村に幕府の砲薬製造所が移転
 
1861年から1863年 文久年間
  • 衾村総戸数266戸
  • 碑文谷・下目黒村に寺子屋2カ所が開設
 
1866年 慶応2年
  • 武州世直し一揆
 
1867年 慶応3年  
1868年 慶応4年
  • 京都政府軍、目黒・世田谷地域13カ村の村民1,000人を品川宿の助人足に動員
  • 江戸城開城
  明治1年
  • 武蔵知県事に編入
  • 江戸を東京と改称
  • 東京府開府
  • 明治と改元
1869年 明治2年
  • 目黒6カ村は、品川県4番組に編入
  • 東京遷都を決定
1871年 明治4年
  • 衾村は2大区5小区に、他の5カ村は2大区4小区に編入
  • 戸籍法制定
  • 廃藩置県
  • 品川県廃止、東京府域を拡大し府下を6大区97小区に改編
1873年 明治6年
  • 衾村の太子堂郷学所分校、私学開校願いを出す翌年、第2中学区第5番小学八雲学校として開校
 
1874年 明治7年  
  • 東京警視庁設置
1878年 明治11年
  • 東京府大小区制廃止、15区6郡を制定
1885年 明治18年  
1886年 明治19年
  • 東京農林学校設立(駒場農学校と東京山林学校の合併)
  • 東京府知事主催大夜会開催、鹿鳴館時代の最盛期
1887年 明治20年
  • 東京電燈会社、配電開始
1888年    
  • 市制・町村制公布
1889年 明治22年
  • 碑文谷村・衾村が合併し碑衾村に、三田・上目黒・中目黒・下目黒の各村が合併し目黒村となる
  • 各戸長役場廃止、柿ノ木坂・中目黒に村役場設置
  • 村長の選任、村会議員の選挙を行う
  • 大日本帝国憲法発布
  • 東京・大阪・京都に市制特例公布
  • 東京市設置、府下6郡に町村制を施行、荏原郡各村は19カ村に合併
1889年 明治22年
  • 大日本帝国憲法発布
  • 東京・大阪・京都に市制特例公布
  • 東京市設置、府下6郡に町村制を施行、荏原郡各村は19カ村に合併
1889年 明治22年
  • 大日本帝国憲法発布
  • 東京・大阪・京都に市制特例公布
  • 東京市設置、府下6郡に町村制を施行、荏原郡各村は19カ村に合併
1890年 明治23年
  • 小学校令改正により、菅刈・目黒の両小学校は目黒村立、碑・八雲の両小学校は碑衾村立となる
 
1891年 明治24年  
1892年 明治25年
  • 下目黒に無集配郵便局設置
 
1893年 明治26年
  • 目黒村、戸数798戸・人口3,701人。碑衾村、戸数507戸、人口3,245人
 
1894年 明治27年
  • 好善社、癩患者収容施設「慰廃園」を油面に設立
 
1898年 明治31年  
  • 東京市、市制特例を脱し自治市となる
1900年 明治33年
  • 山林局目黒試験苗圃(びょうほ)(元、林業試験場)開所
  • 治安警察法公布
1906年 明治39年
  • 東京鉄道 株式会社設立(東京市電の前身)
1907年 明治40年
  • 玉電、道玄坂上―三軒茶屋間開通
1907年 明治40年
  • 玉電、道玄坂上―三軒茶屋間開通
1911年 明治44年
  • 東京市会、市街電車市有案を可決
  • 東京市職業紹介所開設
1912年 大正1年  
  • 明治天皇逝去、大正と改元
  • 東京信託、駒沢村から玉川村にかけて約23万平方メートルの分譲地を造成、翌2年分譲。関東最初の郊外開発計画
1915年 大正4年  
1920年 大正9年
  • 東京で普選大示威行進
  • 第1回国勢調査、内地人口55,963,053人
1922年 大正11年
  • 目黒村、町制を施行
  • 玉電争議(目黒地域初の鉄道争議)
  • 田園都市株式会社、洗足地区(碑衾・平塚・馬込各村)約18万平方メートルを分譲

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