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更新日:2013年9月5日

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歴史を訪ねて 歴史年表 紀元前25000年から紀元1819年

紀元前25000年ころからの年表
西暦 年号 目黒地域のできごと 関連事項・参考
紀元前25000年から10000年  
  • 旧石器時代の生活が営まれる(大橋遺跡)
 
紀元前7000年から4000年  
  • 縄文時代早期の集落が営まれる(中目黒遺跡)
 
紀元前3000年から2000年  
  • 縄文時代中期の集落が営まれる(油面遺跡)
 
紀元前2000年から400年  
  • 縄文時代後・晩期の集落が営まれる(東山貝塚遺跡)
 
紀元前400年から300年  
  • 弥生時代後期の集落が営まれる(土器塚遺跡・目黒不動遺跡)
 
4世紀中ごろ    
  • 大和朝廷成立
645年 大化1年  
  • 大化の改新
806年 大同1年  
808年 大同3年  
853年 仁寿3年  
1000年から1100年    
  • 武蔵七党(武士団)起こる
1160年 永暦1年
  • 目黒氏の祖、目黒四郎左衛門尉家資死去
 
1180年 治承4年  
  • 源頼朝、鎌倉にはいる
1190年 建久1年
  • 源頼朝上洛に目黒弥五郎随従
 
1192年 建久3年  
  • 頼朝、鎌倉幕府を開く
1218年 建保6年
  • 目黒小太郎、荏原郡目黒村より陸奥国に移住
 
1334年 建武1年  
  • 建武の中興
1350年から1400年  
  • 吉良治家、東岡寺(東光寺)を創建
  • 吉良氏、奥州から東国へ移る
1425年 応永32年  
1524年 大永4年
  • このころ目黒地域、北条氏の治下にはいる
  • 北条氏綱、江戸城にはいる
1590年 天正18年
  • 三田村・上目黒村・中目黒村・下目黒村が徳川氏の直轄地に、碑文谷村の一部が旗本神谷氏の知行地となる
  • 徳川家康、江戸入国
  • 関東の検地を開始
1603年 慶長8年  
  • 江戸開府
1596年から1614年 慶長年間  
  • 鷹匠の職制を設置
1632年 寛永9年
  • 2代将軍秀忠夫人崇源院の遺領(上目黒村・下目黒村・衾村・碑文谷村の4カ村の一部)が、増上寺に寄進される
 
1624年から1643年 寛永年間
  • 湯殿山の行者、行人坂に大日堂(大円寺)を建立・家光、放鷹の際一軒茶屋に休憩したと伝えられる(爺ヶ茶屋の起こり)
 
1649年 慶安2年
  • 碑文谷村に五人組結成
 
1664年 寛文4年  
1704年 宝永1年
  • 西運、目黒川に雁歯橋をかける
 
1712年 正徳2年
  • 三田村・上目黒村・碑文谷村が品川宿の助郷に加えられる
 
1716年 享保1年  
1723年 享保8年
  • 将軍吉宗、駒場野で猪狩を行うと伝えられる
 
1724年 享保9年  
1732年 享保17年  
1742年 寛保2年
  • 碑文谷原、鶉場となる
 
1746年 延享3年
  • 下目黒村・中目黒村の町並地が町奉行支配地となり、下目黒町、中目黒町と唱える
 
1762年 宝暦12年
  • このころ衾村総戸数258戸
 
1765年 明和2年  
  • 関東農民20万人の大一揆
1769年 明和6年
  • 太鼓橋完成
 
1777年 安永6年
  • 一軒茶屋彦四郎、将軍家治に団子・田楽を作り、提供したと伝える記録がある
 
1789年 寛政1年  
  • 荏原郡戸越村の住人が孟宗竹を植付けたと伝えられる
1810年 文化7年
  • 目黒元富士を上目黒村目切坂の上に築造
 
1812年 文化9年  
1814年 文化11年
  • このころ目黒不動の門前町が繁昌する
 
1819年 文政2年
  • 幕臣近藤重蔵、目黒新富士を邸内に築造
 

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