更新日:2008年2月1日
目黒駅の西口を出て、すぐ左手の歩道橋を渡ると、角のビルの裏手に目黒川に下る細くて急な坂がある。この坂は行人坂といい、かつて目黒不動参詣の道としてにぎわった道である。
坂を下り始めて間もなく、左手に天台宗大円寺がある。この寺は、江戸の初期、元和年間(1615年から1624年)に湯殿山の行人、大海法印が建てた大日如来堂に始まると伝えられている。山門を入るとまず目につくのが、境内左手のがけに沿い幾段にも並ぶ石仏群である。初めてここを訪れる人はその数の多さに目を見張ることだろう。釈迦三尊像、五百羅漢像などから成る520体ほどの石仏像は、昭和45年、都有形文化財に指定されている。
大火犠牲者供養の羅漢像
振袖火事、車町火事と並んで江戸三大火のひとつである明和9年(1772年)の行人坂火事は、この大円寺が火元といわれている。同寺から出た火は、折からの強風により、たちまち白金から神田、湯島、下谷、浅草までを焼き尽くす大火となった。特に城中のやぐらまでも延焼したので、大円寺は以後76年間も再建を許されなかった。石仏群はこの大火の犠牲者供養のために、石工が50年という歳月をかけて完成したといわれている。
一体一体をよく見ると穏やかにほほ笑むもの、ほおづえをついて考え込んでいるもの、泣き出しそうなものと、その表情は実にさまざまで、個性あふれる石仏群を見ていると親しみがわいてくる。
この石仏群の手前、本堂横に顔や手が溶けたような、一体の異様な地蔵が立っている。この地蔵は「とろけ地蔵」と呼ばれ、江戸時代に漁師が海から引き上げたもので、昔から悩み事をとろけさせてくれる、ありがたいお地蔵様として信仰されてきたとか。

行人坂火事延焼図のイラスト
釈迦如来像のルーツ
さて、この寺のご本尊は、建久4年(1193年)に造られた清涼寺式釈迦如来立像(寄木造り・高さ162.8センチメートル)で昭和32年に国の重要文化財に指定されている。
永観元年(983年)奈良東大寺の僧「
清涼寺の釈迦像は美しいが故に盛んに模刻され、現在は大円寺のほか、鎌倉の極楽寺などにも安置されている。

清涼寺式釈迦如来立像
西運の念仏行
この寺はまた、八百屋お七の情人吉三ゆかりの寺でもある。吉三は出家して西運を名乗り、大円寺の下(今の雅叙園の1部)にあった明王院に身を寄せたという。
西運は明王院境内に念仏堂を建立するための勧進とお七の
西運に深い関心を持っていた大円寺の当時の住職であった福田

大円寺案内図
大円寺
所在地 目黒区下目黒一丁目8番5号
交通 JR目黒駅・東急目黒線目黒駅下車、徒歩5分
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