更新日:2024年3月25日

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歴史を訪ねて 七福神もうで

「歴史を訪ねて」は、「月刊めぐろ」昭和54年6月号から昭和60年3月号の掲載記事を再構成し編集したものです。

七福神もうで

なかきよの とおのねふりの みなめさめ なみのりふねの おとのよきかな

この歌は、上から読んでも、下から読んでも同じ文句になる「廻文(かいぶん)」。江戸時代には、初夢を見るための作法として、宝船に乗った七福神の絵にこの歌を書き添えたものを、枕の下に敷いて寝るならわしがあり、宝船の絵を売り歩く商人の姿が、元日の風物詩のひとつであった。

七福神は、福徳の神として信仰される神様で、ふつう、夷(えびす)(恵比寿)、大黒天、布袋(ほてい)、福禄寿(ふくろくじゅ)、毘沙門天(びしゃもんてん)(毘舎門天)、弁才天(弁財天)、寿老人(じゅろうじん)の七神をいう。

毘沙門天、大黒天は、仏法守護の戦闘の神。弁財天は、音楽・弁才などをつかさどる女神で、いずれもインドで信仰されていたものが、仏教伝来とともに日本に入り、平安時代から福徳施与の神としてあがめられるようになった。福禄寿・寿老人は、中国の延命長寿の神、布袋は、中国五代の後梁(ごりょう)の禅僧契此(かいし)の福々しい姿を写したといわれる。恵比寿は、もとは海辺漁民に信仰されていたが、転じて海運守護や商業繁栄の神として、中世にはひろく信仰されるようになった。

このように七福神は、インド・中国・日本の神仏の寄せ集めで、現世利益を念じる町人たちが、七という聖数に合わせてまとめたものらしい。室町時代の応永27年(1420年)には、七福神をかたどった風流行列が伏見で行われた記録がある。

正月の七福神巡拝のならわしは、江戸時代後半、文化文政のころ、当時の風流人たちが、天下太平の春の行楽と郊外散策をかねて行ったのが始まりとか。その後、七福神にまつわる福の神をまつった社寺を組み合わせて、各地に七福神巡りコースができ、江戸庶民の楽しみのひとつとなった。中でも有名なのは、狂歌師太田蜀山人が「恐れ入谷の鬼子母神」と詠んだ真源寺をはじめとする隅田川七福神。他に谷中七福神、亀戸七福神などがある。

目黒から芝白金にかけての山手七福神が、いつごろできたのか定かではないが、天保9年(1838年)発刊の「東都歳事記」には、既に次のような記録がある。

  • 毘沙門 二本榎細川侯御やしき前
  • 布袋 白金瑞聖寺天王殿
  • 寿老人 白金妙円寺妙見堂の内
  • 福禄寿 白金妙円寺妙見堂の内
  • 弁天 目黒蟠龍寺窟
  • 愛比寿 目黒不動尊境内
  • 大黒 目黒不動尊境内


山手七福神のある寺社

現在は、大黒天が大円寺、毘沙門天が覚林寺に代わり、目黒駅をはさんで、目黒区に3神、港区に4神の福の神が鎮座ましましている。山手七福神は、お参りをしながら、ゆっくり歩いても1時間ちょっとの手ごろな距離。ご家族連れでぜひどうぞ。
七福神の開帳期間や御朱印などについては直接各寺社へお問い合わせください。

七福神の所在地一覧表
七福神名(寺社名) 所在地 電話 交通機関
恵比寿
(瀧泉(りゅうせん)寺)
目黒区下目黒三丁目20番26号 電話03-3712-7549

東急バス(渋72系統 五反田駅から渋谷駅)目黒不動尊下車すぐ

東急バス(東98系統 等々力操車所から東京駅南口)大鳥神社前下車、徒歩10分

東急目黒線不動前下車、徒歩15分

弁財天
(蟠龍(ばんりゅう)寺)
目黒区下目黒三丁目4番4号 電話03-3712-6559

東急バス(渋72系統 五反田駅から渋谷駅)(東98系統 等々力操車所から東京駅南口)大鳥神社前下車、徒歩6分

目黒駅下車、徒歩15分

大黒天
(大円(だいえん)寺)
目黒区下目黒一丁目8番5号 電話03-3491-2793 目黒駅下車、徒歩5分
福禄寿・寿老人
(妙円(みょうえん)寺)
港区白金台三丁目17番5号 電話03-3441-3593

東急バス(東98系統 等々力操車所から東京駅南口)白金台五丁目下車、徒歩2分

南北線・三田線白金台駅下車、徒歩5分

布袋尊
(瑞聖(ずいしょう)寺)
港区白金台三丁目2番19号 電話03-3443-5525

東急バス(東98系統 等々力操車所から東京駅南口)白金台駅前下車、徒歩4分

南北線・三田線白金台駅下車、徒歩4分

毘沙門天
(覚林(かくりん)寺)
港区白金台一丁目1番47号 電話03-3441-9379

東急バス(東98系統 等々力操車所から東京駅南口)清正公前下車、徒歩5分

南北線・三田線白金高輪駅下車、徒歩6分

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生涯学習課 文化財係