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写真(目黒区総合庁舎の全景)

「建築芸術の魔術師」村野藤吾(とうご)氏の傑作 目黒区総合庁舎の見どころ
 文化的価値の高い建築デザイン、屋上庭園からの眺めなど、総合庁舎には見どころがいっぱい。お立ち寄りの際に、ご覧になってみてはいかがでしょうか。

目黒区総合庁舎は、日本を代表する建築家・村野藤吾氏(1891〜1984)が設計した「旧千代田生命本社ビル」を改修したもので、日本の近代建築を語る上で重要な建築物といわれています。
改修に当たっては、建物の文化的価値を尊重し、意匠の重要な部分は当時の姿をとどめています。建物と人との調和を一貫して追及した村野氏のきめ細やかな心遣いと仕上げが特色の一つになっており、オフィスビルの傑作とされています。周囲の環境に配慮した穏やかな外観をはじめ、今も残る茶室と和室、エントランスホールやらせん階段などの細部には、丁寧な仕上げが施され、独特の哲学が感じ取れます。
また、本館1階の中庭には広い池があり、水面のきらめきなどが庁舎を訪れる人の気持ちを和ませてくれます。春にはカルガモのひなが親鳥のあとを一列になって追いかける、ほほえましい光景が目を楽しませてくれることもあります。

写真(エントランス)
写真(和室・茶室・エントランス)
目黒十五(とうご)庭

都市部におけるヒートアイランド現象の緩和に効果がある屋上緑化の様々な工夫を凝らした日本庭園が総合庁舎の屋上に整備されました。屋上庭園計画の際の「15のメッセージ」と村野藤吾氏の名前を合わせて、「目黒十五(とうご)庭」と名づけられています。
信楽焼を使用した和風庭園では、春や夏にはチョウが花の蜜を求めて飛び交い、秋には風に乗ってきた赤トンボが羽を休め、鳥たちが木の実をついばみにやってくるなど、屋上のオアシスは小さな生き物たちの憩いの場にもなっています。
平日の9時から16時30分まで開園(天候や管理作業のため閉園する場合があります)。

写真(目黒とうごてい)
余白 ゆかりの人 余白

写真(青木こんよう像) 青木 昆陽(あおき・こんよう、1698〜1769)
江戸初期にサツマイモの栽培を広め、甘藷先生と呼ばれました。晩年は目黒に住み、瀧泉寺(目黒不動)に墓があり、10月28日に昆陽を偲ぶ「甘藷まつり」が行われます。

隠元禅師(いんげんぜんじ、1592〜1673)
江戸中期に中国(明)から渡来した禅僧で、日本黄檗宗の開祖。創建した海福寺は、明治43年に深川から目黒に移されました。禅の普茶料理の材料として、インゲン豆を伝えたとされます。

西郷 従道(さいごう・じゅうどう、1843〜1902)
西郷隆盛の弟で明治期の元勲。現在の青葉台一帯に「西郷山」と呼ばれる広大な邸宅を持ち、その庭は東都一の名園と讃えられました。現在、その一部が菅刈公園と西郷山公園として残っています。

式亭 三馬(しきてい・さんば、1776〜1822)
「浮世風呂」「浮世床」で知られる江戸後期の戯作者。式亭三馬の墓は震災後、深川から正泉寺に移されました。「比翼紋目黒色揚」など、目黒が舞台の戯作も残しています。

前田 利為(まえだ・としなり、1885〜1942)
旧加賀藩前田家の第十六代当主。軍人でしたが、留学経験を生かし、第一次大戦後の外交交渉などにあたりました。駒場公園にある旧前田侯爵邸は、彼が昭和4年に外国要人の迎賓用に建てたものです。

本居 長世(もとおり・ながよ、1885〜1945)
大正時代に目黒に住み、日本で童謡というジャンルを確立した作曲家。記念碑と墓が目黒不動にあります。「七つの子」、「赤い靴」、「十五夜お月さん」などの不朽の名作を次々に世に送り出しました。

余白 地名のいわれ 余白 キラリと光る…目黒のものづくり

目黒のものづくりは、明治22年の日本麦酒醸造会社の操業に始まったといわれ、昭和初期には、大橋付近から目黒川下流にかけて、また三田用水付近や目黒通り沿いなどに数多くの工場が分布していました。しかし、宅地化の進展などにより、工場数は昭和50年代から急速に減少し続けています。
こうした状況下にあっても、目黒の製造業は、創意工夫と高い技術水準、そして経営努力により、着実に業績を伸ばしています。
分子構造模型、CDレーベル印刷機、観光バスのトイレの製造は、いずれも国内シェア90%を誇ります。また、国内でも数少ない船舶用等のサイレン製造や、焼酎ブームのきっかけを作ったとされる清涼飲料水、真珠・宝石をあしらったジュエリーの生産などのユニークなものづくり。そして、日本で初めてのガラス管によるガス検知器やWindows版バーコード作成ソフト、ウオーキングに欠かせない歩行計測器など、目黒のものづくりは、先駆的で創造力に満ちています。

イメージ(馬のイラスト)

目黒という地名の由来については、鎌倉以前からこの辺りを治めていた豪族の目黒氏に行きあたりますが、豪族は一般に居住地の地名を氏名とするので、「めぐろ」は地名でもあったと考えられます。
駒場の他にも、駒沢、上馬、下馬など馬に関係する地名が周辺に残っていますが、昔、この辺りは馬の牧場が多く、目黒氏はその管理者だったのではないかと推察されます。

馬畔(めぐろ)説
「め」は駿馬の「め」を、「くろ」は畔(あぜ)を指し牧場の周囲のあぜ道の意味で、管理者はその中を縄張りとしていたので、すなわち馬畔という音から生まれたという説。

地形説
「め」は窪地または谷を、「くろ」は嶺(みね)を意味し、起伏の多い地形を表す「め」と「くろ」という音が結合して、地名となったという説。

馬の毛色説
「驪(くろ)」は黒毛の馬のことで、「愛(め)」はかわいい、とか優れるという意味で、優れた馬がたくさんいたため「愛驪(めぐろ)」が地名となり、目黒に転化したという説。

さらに詳しく…歴史・地名