更新日:2013年9月24日

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文化財めぐり(上目黒2コース)

文化財めぐりは、2時間から3時間かけて目黒区内の文化財を見学して歩きます。平成23年5月15日(日曜日)に実施した文化財めぐりのコースを紹介します。

文化財めぐり(上目黒2コース)の行程

出発

9時30分 大橋氷川神社(おおはしひかわじんじゃ)出発

見学場所

  • 大橋氷川神社(おおはしひかわじんじゃ)
  • 天覧台碑(てんらんだいひ)
  • 池尻稲荷神社(いけじりいなりじんじゃ)
  • 区立東山貝塚公園
  • 寿福寺(じゅふくじ)
  • 烏森稲荷神社(からすもりいなりじんじゃ)
  • 目黒銀座観音

解散

12時 中目黒駅解散

文化財めぐり(上目黒2コース)の概要

このコースは、目黒地域の中で北部に位置する上目黒村をめぐるコースです。
前半は、上目黒村の北部をめぐります。江戸期までは原野が広がる地域で、徳川将軍の鷹狩りの場となりました。明治期以降、広大な土地は軍関係施設として兵舎、練兵場(れんぺいじょう)などに活用されました。

後半は村の中程をめぐります。村には大山道(おおやまみち)、鎌倉道(かまくらみち)が通り、道沿いに集落が展開しました。寺院や神社が造られ、路傍に建てられた庚申塔が里人の生活を見守ってきました。

文化財めぐり(上目黒2コース)の見学場所の解説

1 大橋氷川神社(おおはしひかわじんじゃ)(大橋二丁目16番21号)

天正年間(てんしょうねんかん)(1573年から1592年)にこの地に迎えたと伝わる旧上目黒村の鎮守(ちんじゅ)です。

素戔嗚命(すさのおのみこと)を主神とし、天照大神(あまてらすおおみかみ)、菅原道真(すがわらのみちざね)をまつっています。

境内には、目切坂上(めきりざかうえ)(上目黒1丁目8番)にあった目黒元富士(めぐろもとふじ)から移された浅間神社の祠や碑などがあり、目黒元富士(めぐろもとふじ)にちなむ登山道も設けられています。

神社の南側は、大山道(おおやまみち)と呼ばれる主要な道で、江戸市中から丹沢山地の大山に通じ、大山阿夫利神社(おおやまあふりじんじゃ)に詣でる人々や江戸への物資輸送に利用されました。現在は国道246号線になっています。

2 天覧台碑(てんらんだいひ)(大橋二丁目18番)

天覧台碑(てんらんだいひ)は、陸軍乗馬学校(後の陸軍騎兵学校)の卒業馬術を、明治25年(1892年)を初回として明治天皇が11回、大正天皇が4回、この場所から天覧されたことにちなみ、昭和3年(1928年)に陸軍輜重兵(しちょうへい)第一大隊によって建てられました。
一帯には、ほかにも近衛輜重兵(しちょうへい)大隊、騎兵第一連隊などが置かれ、兵隊屋敷などと呼ばれていました。この地域には、軍用地だったことを示す陸軍境界石(りくぐんきょうかいせき)や、屋内射撃場の建物が倉庫に転用されて、現在も残っています。
軍用施設は、国道246号線を越えて、東山地域まで広がっていました。

3 池尻(いけじり)稲荷神社(世田谷区池尻(いけじり)二丁目34番15号)

明暦(めいれき)年間(1655年から1658年)に旧池尻(いけじり)村と旧池沢村の産土神(うぶすながみ)として創建されたと伝わります。

宇迦御魂神(うがのみたまのかみ)を主神としてまつり、火伏せの稲荷、子育て稲荷としても知られています。
神社の南側には、東山3丁目から世田谷区池尻2丁目にかけて旧道の大山道(おおやまみち)が残っています。
神社境内にある「薬水(やくすい)の井戸」は、良質な飲用水で涸れずの井戸といわれ、大山道(おおやまみち)を行く人々も利用したといいます。

4 区立東山貝塚公園(東山三丁目16番16号)

区立東山貝塚公園では、縄文(じょうもん)時代の生活を再現した竪穴住居(たてあなじゅうきょ)が造られています。また、貝塚が出土した公園西側の斜面のあたりから、区内では数少なくなった湧水が今も湧いています。

東山貝塚は、四千年前ほど前の縄文(じょうもん)時代の遺跡で、北区の西ヶ原貝塚、港区の丸山貝塚とともに都内三大貝塚とよばれた著名な貝塚ですが、すでに消滅したものと考えられていました。
しかし、昭和58年から昭和60年の発掘調査で縄文(じょうもん)時代の住居跡が次々と発見され、集落の一部が残存していることがわかりました。その後の調査で旧石器時代、弥生時代、古墳(こふん)時代の遺物も発見され、さらに近現代の遺跡や駒沢練兵場(れんぺいじょう)跡も確認されています。

5 寿福寺(じゅふくじ)(上目黒五丁目16番6号)

元和(げんな)元年(1615年)鳳算大阿闍梨(ほうさんだいあじゃり)の開山と伝えられる天台宗の寺で、本尊は江戸初期に制作された阿弥陀如来像です。

本堂に架かる「念仏堂」と書かれた扁額は、行人坂にあった明王院本堂にかかっていたものです。境内には、区内に建立時からあるものとしては最古の、弘安(こうあん)2年(1279年)に建てられた板碑(いたび)があります。

墓地には、江戸幕府の役職で、将軍の鷹狩りに備えて獲物を餌付けしておく綱差役(つなさしやく)を代々務めた川井権兵衛(かわいごんべえ)の墓があります。

6 鎌倉道(かまくらみち)

野沢通りから上目黒5丁目5番と6番の間の道を東に進み、上目黒3丁目14番で山手通りに出る道は、旧道の鎌倉道(かまくらみち)です。
上目黒村のうち、現在の上目黒から東山のあたりは宿山(しゅくやま)と呼ばれ、鎌倉道(かまくらみち)に沿って集落が展開していました。上目黒5丁目5番には庚申塔(こうしんとう)3基が残り、村の様子を伝えています。

7 烏森稲荷神社(からすもりいなりじんじゃ)(上目黒三丁目39番14号)

倉稲魂命(うかのみたまのみこと)を祭神とする旧上目黒村宿山組(しゅくやまぐみ)の鎮守です。

創立年代は不明です。寿福寺(じゅふくじ)境内にあった稲荷神をこの地に移したという説や、宿山稲荷講(しゅくやまいなりこう)の人々が江戸新橋の烏森稲荷(からすもりいなり)へ参拝したおりに、狐が白い馬になってついてきたのをまつった、などの説が伝えられています。

8 目黒銀座観音(上目黒二丁目14番)

大正時代末、このあたりには小規模の乳牛牧場や馬力運送を営む者が多く、目黒恵比寿畜舎運送組合を結成していました。この組合の代表者などが中心となって、埼玉県東松山市上岡の妙安寺から馬頭観音の分霊を勧請しました。大正12年(1923年)には、木彫りの馬頭観音像も安置され、盛大な入仏開眼式(にゅうぶつかいげんしき)が行われました。

お問い合わせ

生涯学習課 文化財係