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東山貝塚遺跡
遺跡の概要
遺跡番号 | 8 |
---|---|
所在地 | 目黒区東山二・三丁目 |
立地 | 台地縁辺(目黒台) |
主な時代 | 旧石器時代、縄文時代(早期から晩期)、弥生時代(後期)、古墳時代、平安時代、中世、近世 |
主な遺構 | 旧石器時代:石器ブロック、礫群 縄文時代:竪穴住居跡 弥生時代:竪穴住居跡、環濠 |
主な遺物 | 縄文時代:縄文土器(中期勝坂式、加曽利E式、後期称名寺式など)、土偶、ゆはず形角製品、赤漆塗櫛 弥生時代:弥生土器(後期) |
遺跡の位置図
東山貝塚遺跡H地点の調査状況
東山貝塚遺跡第27地点の調査状況
遺跡の解説
東山貝塚遺跡(ひがしやまかいづかいせき)は目黒川右岸の台地縁辺から目黒川に向かう緩斜面に立地する集落遺跡で、明治時代から知られています。
大正15年に、この遺跡周辺で区画整理工事が行われ際に縄文時代の竪穴住居跡(たてあなじゅうきょあと)が多数発見されたことが、当時の新聞に掲載されています。しかし、昭和になってからは、宅地化などの開発行為によって遺跡の大部分が破壊されてしまいました。
昭和58年に、建築工事中に竪穴住居跡と縄文土器が発見され、縄文時代の集落跡の一部が残存していることが確認されました。以降、継続的な発掘調査が行われており、縄文時代中期から晩期(約5千年前から2千5百年前まで)にかけて集落がつくられていたことが分かってきました。
貝塚は、現在では見ることはできませんが、記録では、ハマグリ、シオフキ、ヤマトシジミ、オオタニシなどの貝類のほか、クロダイ、アジなどの魚骨、イノシシ、シカ、クジラなどの獣骨が発見されています。
参考文献・調査報告書
編著者名 | 題名・掲載書誌名 | 発行者 | 発行年 |
---|---|---|---|
松下正影 | 「目黒東山竪穴群」 「考古学雑誌」第16巻第8号 |
考古学会 | 1926年 |
下村作治郎 | 「東京都上目黒東山石器時代竪穴調査報告概要」「史前学雑誌」第7巻第1号 | 史前学会 | 1935年 |
天草五郎 | 「土偶を取りに行って土方の親分に叱られた話」「ミネルヴァ」1-6・7 | 翰林書房 | 1936年 |
大場楽石 | 「大東京湮滅遺跡雑記」「ミネルヴァ」1-6・7 | 翰林書房 | 1936年 |
甲野勇 | 「東京市内の貝塚」「ミネルヴァ」1-6・7 | 翰林書房 | 1936年 |
大場磐雄ほか | 「荏原地区における考古学上の調査」「荏原地域文化財総合調査報告書」 | 東京都教育委員会 | 1963年 |
目黒区東山遺跡(X地点)調査団 | 「東山遺跡X地点」 | 目黒区東山遺跡(X地点)調査会 | 1993年 |
目黒区東山遺跡調査団 | 「東山遺跡(J地点)」 | 目黒区東山遺跡調査会 | 1995年 |
目黒区東山遺跡調査団 | 「東山遺跡(I・M・N・O地点)」 | 目黒区東山遺跡調査団 | 1996年 |
目黒区東山遺跡調査団 | 「東山遺跡(K・L・Q地点)」 | 目黒区東山遺跡調査団 | 1998年 |
目黒区東山南遺跡調査団 | 「東山南遺跡」 | 目黒区東山南遺跡調査団 | 1998年 |
目黒区教育委員会 | 「東山貝塚遺跡6(Y地点発掘調査報告書)」 | 目黒区教育委員会 | 2003年 |
目黒区教育委員会 | 「東山貝塚遺跡5(P地点発掘調査報告)」 | 東山遺跡調査団ほか | 2005年 |
株式会社淺沼組東京本店埋蔵文化財担当室 | 「東山貝塚遺跡7(Z地点発掘調査報告書)」 | 目黒区教育委員会ほか | 2005年 |
大成エンジニアリング株式会社埋蔵文化財調査部 | 「東山貝塚遺跡8(第27次発掘調査報告)」 | 目黒区教育委員会 | 2010年 |
目黒区教育委員会 | 「東山貝塚遺跡9(第28次発掘調査報告)」 | 目黒区教育委員会 | 2012年 |
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電話:03-5722-9320