茶屋坂
- 目黒の坂 別所坂
坂の由来について、郷土目黒誌に「この坂を下ったところに別所と呼ばれた地名のところがあったからである」と記されています。 - 目黒の坂 けこぼ坂
正覚寺から中目黒小学校と目黒区総合庁舎の間を通り、祐天寺に上る坂道がけこぼ坂です。 - 目黒の坂 茶屋坂
江戸時代、坂の上に茶屋があったことに由来する「茶屋坂」からは富士の眺めが良く、茶屋も大いに繁盛していたようです。目黒に鷹狩にやってきた将軍がよく利用してたといわれ、「爺々(じじ)が茶屋」と呼ばれていました。 - 目黒の坂 新茶屋坂
坂の途中にあるトンネル上には、昭和49年に廃止されるまで、三田用水が延々300余年にわたって流れ続いていました。 - 目黒の坂 なべころ坂
坂名の由来は、鍋が転がるほどの急坂であったことから「なべころ坂」と名がつけられたとする説と、赤土が水でやわらかくなった状態を示す、目黒の古い方言「なべごろ」とする説があります。 - 目黒の坂 ばくろ坂
「ばくろ」とは、風雨にさらされ穴のあいた状態を示す、目黒の古い方言だといわれています。 - 目黒の坂 権之助坂(ごんのすけざか)
江戸の中期、中目黒の田道に菅沼権之助という名主がいました。 - 目黒の坂 行人坂(ぎょうにんざか)
行人坂という名称は、湯殿山の行者(法印大海)が大日如来堂(現大円寺)を建て修行を始めたところ、次第に多くの行者が集まり住むようになったのでつけられたといわれています。 - 目黒の坂 十七が坂
あまりに急であったため、子どもが坂道の途中でころぶと17歳になったとき不祥事が起きるという話が坂名の由来と伝えられています。 - 目黒の坂 金毘羅坂(こんぴらざか)
明治の中ごろまで、この坂の付近に金毘羅社(目黒三丁目)があったところから、この名がついたといわれています。 - 目黒の坂 石古坂(いしこざか)
下目黒三丁目と品川区小山台一丁目の境、都立林試の森公園正門前に「石古坂」というゆるやかな坂があります。 - 目黒の坂 三折坂(みおりざか)
三折坂(みおりざか)といい、左手の背丈ほどに積まれた石がきの上には、ササやクヌギがうっそうと生い茂り、右手には住宅が建ち並ぶ、心なしか落ち着きのある道です。
