トップページ > くらし・手続き > 人権・男女共同参画 > 人権 > 人権啓発のとびら > これでいいのですか? > 人権啓発のとびら これでいいのですか? 「みなさんは、同和問題をご存知ですか?」

更新日:2013年12月13日

ページID:378

ここから本文です。

人権啓発のとびら これでいいのですか? 「みなさんは、同和問題をご存知ですか?」

同和問題は、生まれた場所(被差別部落)や、そこの出身というだけで差別される、根拠もなく著しく不合理な部落差別の問題をいいます。

私たちの社会にある、人種の違いによる差別、宗教の違いによる差別、性の違いによる差別、障害者差別などは、世界各地で見受けられる差別です。このような差別ももちろん許されませんが、同和問題は、日本人がとらわれやすい死や血などに関するケガレ意識のほか、家意識、世間体などが根底にある、簡単には拭い去ることのできない日本固有の差別なのです。

同和問題はどうして起こったのでしょうか?

史料では、既に鎌倉時代中期の文献に部落差別の原型が記述されています。その後16世紀末に、豊臣秀吉は、農民が田畑から離れることを禁じるために、武士と町民・農民とを分けた身分制度を作りました。この身分制度をさらに進めるため、徳川幕府は、歴史的、社会的な経緯で差別されていた一部の人々を著しく低い身分として固定し、職業や住むところを制限しました。こうして被差別部落の形成が進み、その多くが生活や暮らしが低いレベルに置かれていったといわれています。

この差別されていた一部の人々は、占術など神秘的な技能を持つ職人や芸人、そして、生き物の死にかかわる職業に携わっていました。そして、科学が未発達であった当時、多くの人が抱いていた「ケガレ意識」の対象として見られてきました。神秘的であるが故に、畏怖の念から「ケガレ意識」の目で見られてしまったのでしょうか。観阿弥(かんあみ)や世阿弥(ぜあみ)が完成させた能をはじめ、歌舞伎や人形浄瑠璃などの芸能、寺社の庭師、武具や馬具、太鼓などの革製品の生産、竹細工に至るまで、現在日本の伝統文化といわれるものの多くは、当時の被差別民衆が担ってきたものです。

1871年(明治4年)の解放令によって、こうした差別の身分制度は廃止されました。しかし、被差別部落が長年置かれてきた厳しい状況は改善されずに形式的なものであったため、周囲からの偏見や差別はそのまま放置されました。明治以降の資本主義化による制度や産業の変革により、被差別民が担ってきた皮革産業などの特権は資本家に奪われ、被差別部落の生活や実態はより厳しいものになっていきました。1922年(大正11年)の全国水平社の結成は、被差別部落の人たちが不当な差別を自らの運動によって解消しようと立ち上がったできごとでした。

現在、行政や企業、宗教団体、民間団体等、多くの人や団体が部落差別問題の解消に取り組んでいます。しかし、今日に至っても、同和問題は、結婚や就職など日々の暮らしの中で、差別事件として、早急に解決が必要な現実の社会問題となって現れています。

差別は、差別される人を傷つけるだけでなく、差別する人をも不幸にするという事例を紹介しましょう

どこにでもいる若い男女がめぐり合いました。

3年の交際を経て結婚を決意した二人でしたが、男性が女性の両親に被差別部落出身であることを話したところ、結婚に猛反対されました。2年の歳月をかけて二人は女性の親戚を回って理解を求め、両親に再度話しましたが、最後まで賛成を得ることはできませんでした。結婚した二人の間には子どもも生まれ、男性の両親はそんな二人を暖かく見守ってくれました。

一方、女性の両親とは、その後まったく交流がなく、孫たちも母方の祖父母に会ったことがありません。二人の結婚を認めないまま、女性の母親は数年前に亡くなりました。

結婚を認めてもらえなかった二人、祖父母に存在すら認められない孫、実の娘や孫にも会えないで亡くなった母親…差別は、差別される人を傷つけるだけではなく、差別する人をも不幸にするのです。

結婚差別は、この事例だけでなく、現在でもさまざまなところで起こっています。

最近の東京でも差別事件があるの?

2003年(平成15年)5月、東京都中央卸売市場食肉市場で働く人々を誹謗・中傷する差別はがきを発端に、約400通の差別はがき・手紙が都内を中心に被差別部落出身者やその関係者に送りつけられる「連続大量差別はがき事件」が発生しました。犯人は逮捕され、2005年(平成17年)7月に懲役2年の実刑判決が確定しましたが、その後も食肉市場あてに、そこで働く人を侮辱する悪質な差別はがき等が郵送される差別事件はなくなってはいません。

また、公共施設など大勢の人の目に触れやすい所に、被差別部落出身者や外国人を誹謗・中傷・脅迫する差別落書きが後を絶ちません。

さらに、不動産会社がマンション建設予定地を「買いたがらない人がいる」とか「何か問題があるといけないから一応調べておこう」といった理由で同和地区かどうか調査する事件が起きました。これは、「同和地区」そして「被差別部落出身者」を排除することを前提とした部落差別です。

このように発覚するのは、実際に起きている差別事件の氷山の一角であることはいうまでもありません。こうした差別事件や、結婚や就職がだめになる同和問題は、決して過去のことではなく、私たちの住む東京で現在でも起きている人権侵害の問題なのです。

解決のためにはどうしたらいいでしょう

部落差別は、生まれによって身に覚えのないレッテルを貼られることで起こります。そして、このレッテルは、「みんながしている」とか「昔からしている」といった形で、差別を受け入れている人や無知や無関心のままで問題を正しく理解しようとしない人がいることによって、根強く温存されているのです。

また、被差別部落の人たちが差別されるようになったのは、「ケガレているから」とよくいわれますが、これに対して「ケガレなど存在しないのだから間違っている」と説明できる人がどれだけいるでしょうか。私たちは、ふだん肉を食べ、革製品を身につけていますが、これらを作るために必要なと畜(食肉解体処理)業務をする人に対して「ケガレ」や「残酷」を感じるといった矛盾はないでしょうか。このことは同和問題と深く関わっており、正しい認識と理解が必要です。

私たちは、何気なく受け入れている迷信や慣習などを、常に問い直す努力が必要です。このような努力の積み重ねが、客観的な視点でものごとを見極める習慣をつくりだし、ひいては差別へつながる偏見に気づくきっかけとなります。

また、客観的な視点で判断し、根拠がないと気づいたことでも、「みんながしている」からといって従ってしまっては、差別とわかっていても「みんながしているから自分だけやめることはできない」といった、差別がなくならない構造を崩すことはできません。正しくないと思ったことは、世間に惑わされることなく従わないといった、毅然とした態度をとれるようにすることが大切です。

ふだん当たり前のように受け入れている言葉や迷信、慣習、世間体といったものすべてが差別につながるわけではありません。しかし、見つめ直す努力をすることが、私たちの社会から差別をなくしていく道のりにはなくてはならないものです。

このように、私たち一人ひとりが同和問題の解決を目指し努力することは、偏見を見抜く力を身につけ、世間体に負けず差別を許さない行動をとることであり、あらゆる差別を解決するための努力でもあるのです。

食肉・と場問題

食肉は、私たちが生きていく上で欠かせないものですが、ケガレ意識や食肉・と畜に関しての長い歴史から、食肉市場やそこで働く人に対する強い偏見や差別が残されています。

日本は、仏教の伝来による殺生戒と時の支配者の政策的な食肉禁制によって、長い間、肉食はケガレると考えさせられてきました。誰もが公然と肉を食べられるようになったのは明治に入ってからです。しかし、食肉禁制・殺生禁断の時代でも、動物の皮は、馬具や武具の生産には欠かせない重要なものでした。そこで、江戸幕府は、農耕用や運搬用の牛や馬が死んだときに、その処理を「ケガレた仕事」として被差別部落の人たちにしか従事できないものとして担わせ、貴重な皮を独占することができたといわれています。

明治になって食肉禁制がなくなり、だんだんと食肉文化が普及し、と場が全国各地に増えていきました。このような中、被差別部落の人たちが中心となって伝統的な技術を伝え、部落産業の一つとして食肉産業を支えてきたのです。

被差別部落がと畜業務・食肉産業と深くかかわってきたことから現在もさまざまな問題が起こっていますが、単なる職業に対する差別という次元の問題ではなく、根本に同和問題の存在があるため解決が遅れているといえます。と場で働いている、働いていた、あるいは親せきが働いているというだけで、被差別部落出身として就職を拒否されたり、結婚に反対されたりする人権侵害も起きています。

私たちの社会では、ふだん肉を食べ革製品を身につけています。その生産過程で働く人を差別したりと場を忌み嫌ったりすることは、矛盾した許されない行為です。この「許されない行為」にも、同和問題とのかかわりの中で「うなずいてしまう」人が決して少なくないことは、残念なことです。

と畜業務は、私たちが生活するために必要な生き物の命を、高度な技術で活かしてくれている仕事です。こうした偏見や差別の実態をなくしていくためにも、同和問題の解決が必要なのです。

パネルのダウンロード

お問い合わせ

人権政策課

ファクス:03-5722-9469