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更新日:2014年1月29日

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目黒の地名 伊勢脇(いせわき)

「目黒の地名」は、「月刊めぐろ」(昭和55年8月号から昭和58年4月号)の掲載記事を再構成し編集したものです。

目黒の地名 伊勢脇

伊勢脇は、目黒村、目黒町時代の字名。目黒村が大正11年に目黒村になっても「東京府荏原郡目黒町大字上目黒字伊勢脇」として親しまれていた。それが、昭和7年の目黒区誕生を機に、「東京市目黒区上目黒1919番から2107番地」と改まり、地名伊勢脇は消え去ってしまった。

では、どの辺りを伊勢脇と称していたのであろうか。今日の上目黒二丁目全域と上目黒一丁目24番から26番がそれであり、祐天寺一丁目と上目黒二丁目の境界となっている区道と、蛇崩川(緑道)、目黒川、駒沢通りに囲まれた地域である。

天祖神社

そもそも伊勢脇のいわれは、この地に伊勢神宮の祭神、天照大神(あまてらすおおみかみ)を祭る天祖神社があり、境内を俗に「お伊勢の森」といったところからきている。

「伊勢脇」を歩くと馬頭観音に出会う。現在の目黒区総合庁舎辺りに牧場があったからだろうか。明治の末ごろまでは人家もまばらで、現在の伊勢脇通り一帯も畑地であった。道路すらなかったという。それが大正11年に、目黒町制施行後最初の道路計画で、伊勢脇通りが整備されることになり、発展の緒をつかみかけたとき、関東大震災に見舞われたのである。

震災復興の余勢を受けて、天祖神社から祐天寺方面にかけての高台は住宅地に、畑地であった低地は商店街として急激に発展。今日では、東横線と地下鉄日比谷線の乗換駅となっている交通の要衝、中目黒駅を中心に、区役所をはじめとして、事業所・商店・飲食店が数多く集まり、区内でも有数のにぎわいをみせている。

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