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歴史を訪ねて 東部地区
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平成6年にオープンした恵比寿ガーデンプレイスには、ビール工場がありました。目黒でビールづくりに必要な良質で多量の水がまかなえ、しかも消費者に近い場所だったのです。
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江戸三大火のひとつである明和9年(1772年)の行人坂火事はの犠牲者供養のために、石工が50年という歳月をかけて完成したといわれる石仏群があります。
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本物の富士山に行かなくても、築山に登って富士を拝めば霊験あらたか…広重の「名所江戸百景」にも美しく描かれた富士山信仰です。
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サツマイモの普及に努め、栽培奨励を幕府の政策に乗せた甘藷先生として有名な青木昆陽。その墓が、目黒不動瀧泉寺の裏手にあります。
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黒船来航、尊王攘夷勢力の過激な反幕運動などの幕末の深刻な政情不安は、平和な農村だった目黒にも影響を及ぼしました。
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目黒通りには「元競馬場」と言う名前のバス停留所があります。目黒区に競馬場があったことをご存知ですか?
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第1回日本ダービーは、昭和7年4月24日に目黒競馬場で開催されました。当時のコースの名残が、今も街路に残っています。
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毎年10月28日には甘藷祭りが開かれ、仁王門前には芝居でおなじみの白井権八・小紫の比翼塚もありります。“お不動様”は今もなお庶民信仰の対象としてにぎわっています。
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三田用水は、目黒の農業用水や工業用水として使われ、昭和49年廃止となるまで300年近くも区内を流れ続け、目黒地域の開発に大いに役立ちました。
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三田用水は目黒の工業発展に大きな役割を果たしました。
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例大祭で奉納される「剣の舞」、冬の風物詩「酉の市」。いつもは静かな境内ですが、このときばかりはにぎわいます。
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平成元年に開園した都立林試の森公園は、林業試験場の跡地です。私たちに貴重な緑を残してくれた林業試験場の歴史をたどりましょう。
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皆さんおなじみの落語「目黒のサンマ」ですが、噺家によって内容はさまざまです。
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目黒区と港区の6つの寺社をまわる山の手七福神。ゆっくり歩いても1時間ちょっとの手ごろな距離です。
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江戸時代の宝くじである富くじ、または富突きといわれるものは、江戸っ子の人気を集めていました。