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更新日:2026年8月13日

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ひとめぐり「目黒での戦争体験をつづった父の手記を寄贈 内藤政弘さん」(令和8年8月15日号)

ひとめぐりは、目黒区で活躍するかたにスポットを当てて紹介する、めぐろ区報の連載記事です。

令和8年8月15日号 vol.60
目黒での戦争体験をつづった父の手記を寄贈 内藤政弘さん(90歳)

プロフィール

内藤政弘(ないとうまさひろ)さん

第二次世界大戦時、一家で中目黒に暮らす。田道国民学校3年生の時、姉・喜代子さん(現在94歳)とともに福島県へ集団疎開。後年、父(政雄氏)から戦時中の目黒の様子などをまとめた手記「空襲記」を譲り受け、区に寄贈した。

父が遺した戦争の記録を未来へ語り継ぐ

父から子、そして目黒へと受け継がれた「空襲記」

「父は日常の出来事を細かく日記に書き留める人でした」。政弘さんの父、政雄さんは、本箱の大半を占めるほど書きためた日記などを基に戦時下の目黒の惨状を何枚もの原稿用紙につづり、自ら製本して「空襲記」と題しました。「戦争の実態を客観的に記録しておくことが主眼だったと思いますが、大勢の人が戦争で亡くなっている現実に憤りを感じていたんだと思います」。

亡くなる前、父は手製の「空襲記」を政弘さんへ託します。政弘さんはこの手記を、手元に残していた当時の手紙などとともにめぐろ歴史資料館へ寄贈。戦後80年となった昨年、目黒区の戦争の記録であるこの手記を、区は1冊の本として刊行しました。

手製の空襲記

我が子を案じる父の愛情

戦時下でも、内藤家の人たちは手紙でやりとりを続けていました。父が送った何通もの手紙には絵が添えられ、遠い疎開先で心細い思いをしている我が子を和ませようとする親心が垣間見えます。

ようやく終戦を迎えた直後、政弘さんは疎開先で尿毒症を発症。疎開先から戻った同級生の親にそのことを伝えられた父は、「危篤すぐ来い」という電報が届く前に政弘さんのもとに駆け付けたと記されています。「病に苦しむ我が子の様子に気をもんでいた時、疎開先で魚屋に伝わる薬のことを聞いたそうです。黒砂糖があれば作れると言われた父は、戦前菓子屋だった家を何軒も訪ね歩き、砂糖つぼにこびりついていた黒砂糖を探し当てて薬を作ってもらったそうです」。必死の看病のおかげで九死に一生を得た政弘さんの心には、父の深い愛情が今も鮮明に残っているといいます。

父・内藤政雄氏

政雄氏から喜代子氏への手紙(秋の七草について)

今、平和について願うこと

疎開先から帰ってきた政弘さんの目に映ったのは、変わり果てた目黒の街でした。「目黒通り沿いや環状6号線、大鳥神社などまちのほとんどが焼け野原になっていました」と、当時を振り返ります。

自身も戦争体験者である政弘さん。戦後80年が過ぎた今、改めて思うことを尋ねると「戦争は悪ですよ。どこかで必ず不幸が起こる。父が遺した「空襲記」が、戦争の悲惨さを伝え、二度と繰り返してはいけないということを未来に語り継いでくれたらと心から願っています」と、優しい笑顔で語ってくれました。

「空襲記 銃後の目黒と疎開した我が子の記録」

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「空襲記 銃後の目黒と疎開した我が子の記録」は広報広聴課(総合庁舎4階)で販売(1冊1,000円)しているほか、図書館で貸し出しています。

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