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青木昆陽墓 国指定史跡
青木昆陽墓の概要
青木昆陽墓
指定年月日
昭和18年5月1日
公開の有無
屋外
時代・年代
江戸時代
所在地
目黒区下目黒三丁目5番 瀧泉寺(りゅうせんじ)墓地
交通
- 東急バス渋41系統(渋谷駅西口から大井町駅)、不動尊(ふどうそん)参道バス停下車3分
- 東急バス渋72系統(渋谷駅東口から五反田駅)、目黒不動尊(めぐろふどうそん)バス停下車5分
解説
青木昆陽(あおきこんよう)は、江戸時代中期の儒学者、蘭学者です。名は敦書(あつのり)、通称は文蔵。京都の儒学者伊藤東涯(いとうとうがい)に学び、幕府に仕えました。
1732年に近畿以西を襲った享保(きょうほう)の飢饉の後「蕃薯考(ばんしょこう)」を著し、薩摩から種イモを取り寄せて各地に配布し栽培方法を教え、甘藷(かんしょ)(サツマイモ)が関東一円に広がるきっかけをつくりました。繁殖能力が高くやせ地でも育ち、初心者でも育てやすい甘藷(かんしょ)は、飢饉対策として全国で栽培されるようになり、昆陽(こんよう)は人々から甘藷先生(かんしょせんせい)と称せられました。
昆陽(こんよう)の遺徳を偲び、毎年10月28日に「甘藷(かんしょ)まつり」が催されます。
お問い合わせ
生涯学習課 文化財係
電話:03-5722-9320