更新日:2013年10月18日
青木昆陽墓の概要

青木昆陽墓
指定年月日
昭和18年5月1日
公開の有無
屋外
時代・年代
江戸時代
所在地
目黒区下目黒三丁目5番 瀧泉寺墓地
交通
- 東急バス渋41系統(渋谷駅西口から大井町駅)、不動尊参道バス停下車3分
- 東急バス渋72系統(渋谷駅東口から五反田駅)、目黒不動尊バス停下車5分
解説
青木昆陽は、江戸時代中期の儒学者、蘭学者です。名は敦書、通称は文蔵。京都の儒学者伊藤東涯に学び、幕府に仕えました。
1732年に近畿以西を襲った享保の飢饉の後『蕃薯考』を著し、薩摩から種イモを取り寄せて各地に配布し栽培方法を教え、甘藷(サツマイモ)が関東一円に広がるきっかけをつくりました。繁殖能力が高くやせ地でも育ち、初心者でも育てやすい甘藷は、飢饉対策として全国で栽培されるようになり、昆陽は人々から甘藷先生と称せられました。
昆陽の遺徳を偲び、毎年10月28日に「甘藷まつり」が催されます。