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文化四年永代橋崩落横死者供養塔及び石碑 東京都指定有形文化財(歴史資料)
文化四年永代橋崩落横死者供養塔と石碑
指定年月日
平成3年3月8日
時代・年代
江戸時代
- 供養塔 文化4年(1807年)
- 石碑 安政3年(1856年)
公開の有無
屋外
所在地
目黒区下目黒三丁目20番9号 海福寺(かいふくじ)
交通
東急バス渋41系統(渋谷駅西口から大井町駅)不動尊参道(ふどうそんさんどう)バス停下車3分
解説
隅田川にかかる永代橋は、元禄(げんろく)11年(1698年)に開通し、江戸随一の長さを誇り、富士山をはじめ眺望がよく、錦絵にも描かれる優美な橋でした。
文化4年(1807年)8月19日の深川富岡八幡宮(とみおかはちまんぐう)の大祭は、中止されてから11年ぶりに催されたため、多数の人出となりました。将軍の世子(せし)たちの乗った御座船(ござぶね)が永代橋下を通過する間の通行止めが解除され、一斉に群衆が橋を渡ったとき、橋の中央付近が崩れ落ちました。多くの人が転落し、一説によると溺死者は480人という江戸始まって以来の大惨事となりました。
この犠牲者の霊を慰めるため、多くの浄財で永代橋に近い海福寺(かいふくじ)に供養塔と石碑が建てられました。空前の大惨事を江戸市民がどのように受け止めたかを知ることができる、都内唯一の資料です。
明治(めいじ)43年(1910年)海福寺(かいふくじ)の移転に伴い、現在地に移されました。
お問い合わせ
生涯学習課 文化財係
電話:03-5722-9320