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更新日:2023年12月1日

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目黒の歴史を学びながら、ゆるりと区内6.5キロをウオーキングしてみました

今年も、区内では「芸術の秋」、「スポーツの秋」にちなんだイベントが盛りだくさん。
日ごろから運動不足を痛感していた筆者(アラサー)は、一念発起して、今回で3回目の開催となる「デジタルスタンプラリー 歴史文化財まち歩きinめぐろ」(10月1日から10月31日まで、めぐろ観光まちづくり協会が主催)に参加してみました。

スタンプスポットとして設定されていたのは、北部(駒場・大橋エリア)を中心に10カ所。

と、ここで一つ、大きな悩みが発生。果たして最短ルートを目指すべきか、はたまた一歩でも多く歩いて運動不足解消に貢献するルートにするべきか。

己の脚力に自信を持てなかった私は、結局、区内を「北」から「南」に効率よく向かい、坂道を下っていく約6.5キロのルートを選択してしまいました。次回の開催時にはハードなルートにしようと、一応心に誓いつつ、まずは「駒場東大前駅」から「旧前田家本邸 和館」を目指して出発。

京王線「駒場東大前駅」の写真

井の頭線を左手に歩くこと約8分。駒場公園東門から入るとすぐに「旧前田家本邸 和館」が見えてきました。

旧前田邸 和館外観の写真

旧前田邸の庭園の写真

平成25年に重要文化財(建造物)にも指定されている旧前田邸和館。昭和5年に竣工した木造2階建ての近代和風建築で、迎賓のほか、前田家の四季折々の行事にも利用されていたそうです。日が差し込む庭園に見とれてしまい、早くも目的を見失うところでしたが、ここでスタンプ1つ目をゲット。

和館のすぐ横にある旧前田家本邸洋館はスタンプスポットではありませんが、外すことはできないので、少しだけ寄り道を。

前田邸洋館外観

前田邸内観1

和館とはうって変わり、鉄筋コンクリート造りで、外壁はスクラッチタイルを貼り、アクセントに大華石が使用されています。この洋館は、大正末期から昭和初期に建てられた大邸宅建築を代表する一つで、全館暖房設備や料理を運ぶための小型荷物用エレベーターの設置など、当時の最新技術が使用されています。じゅうたんやカーテン、照明器具などは豪華絢爛(けんらん)そのものでした。

「カーテン」がどれも素敵でじっくり見たいところでしたが、残り9つのスタンプスポットを回るため、後ろ髪を引かれる思いで旧前田邸洋館を後にしました。

次の目的地は「日本民藝館」。駒場公園内を抜けて歩くこと6分ほどで到着。

日本民藝館

民藝運動を起こした柳宗悦(やなぎむねよし)氏が創立・設計した館で、陶磁器や織物、染物、絵画、革工芸など約1,000点が展示されています。そもそも「民藝」とは民衆的工芸の略で、日用品の中に美を見いだすということらしいです。

旧前田邸をじっくり見すぎたため、すでに時間が押していることに気づき、スタンプだけゲットして次へ向かいます。

次に向かったのは「ケルネル田んぼ」。駒場東大前駅方面に歩くこと7分ほど。踏切を渡ると駒場野公園の入り口があります。

駒場野公園内にある「ケルネル田んぼ」は近代日本における農学の礎を築いた、名誉教師オスカー・ケルネルが試験田として使用していた田んぼです。

ケルネル田んぼ

ちょうど毎年開催されている「かかしコンクール」の期間中で、あぜ道に個性豊かなかかしが並んでいました。井の頭線の車窓からもこの田園風景とズラリと並ぶかかしを見ることができました。

忘れずにスタンプ3つ目をゲット。

続いて目指したのは「〆切地蔵」。駒場野公園内を抜けて5分ほど歩くと、淡島通り(都道423号)沿いに「〆切地蔵」を発見。

〆切地蔵

独特なネーミングの「〆切地蔵」。その昔、隣村で疫病が流行し、その疫病退散を祈ったところ、誰も病気にかからなかったとか。以来、悪病締め出し地蔵としてこの名がついたといわれています。

一度手を合わせ、これでスタンプは4つ目に。

5つ目の目的地は「上目黒氷川神社」。池尻大橋駅方面に向かい歩くこと15分ほど。玉川通り(国道246号)沿いの鳥居をくぐり、石段を登った高台に鎮座する神社です。この石段、急勾配で54段となかなか足にこたえます。

上目黒氷川神社

「氏子は疫病知らず」と伝えられる神社。上目黒村の鎮守(ちんじゅ)として人々の生活を見守り続け、目黒川の度重なる氾濫や疫病からも氏子を守ったことからそう伝えられてきました。今年は鎮座450年を記念して「上目黒郷土まつり 一心行列」も開催されるということで、のぼり旗もたくさん立っていました。

肩で息をしながら続いて向かった先は「玉電大橋車庫跡」。先ほどの急勾配な階段を下り、玉川通り(国道246号)を挟んでちょうど反対に位置するオーパス夢ひろばに向かいます。下から見る「大橋ジャンクション」はいびつな感じで魅力的です。さらに迫力もあるので、大好きな建造物です。

「玉電大橋車庫跡」ですが、あまりピンとこない区民のかたも多いと思います。オーパスの外周をぐるりと回ると、見落としそうになるほどひっそりと「玉電大橋車庫跡」がありました。

玉電大橋車庫跡

写真があっても伝わりにくいかもしれませんが、かつて東急玉川線(玉電)の車庫があった場所で、5メートルほどのレールが2本敷設され、ホームのような段差も再現されていました。

現在は、交通量がとても多い国道246号線ですが、その上を路面電車が走っていたことに思いをはせながらスタンプ6つ目をゲットです。

7つ目のスポットは「東山貝塚公園」。東山方面に5分ほど歩くと、突如住宅街の中に竪穴式住居が現れます。

東山貝塚公園

都内には貝塚が多く存在します。その中でも特に有名なのは「東京市三大貝塚」と呼ばれる北区の「西が原貝塚」、港区の「丸山貝塚」、そして目黒区の「東山貝塚」です。大正15年、宅地を作るために区画整理作業を始めたところ、13戸の竪穴式住居跡と、縄文時代の石器等が見つかり有名になりました。

公園内に円すい型の竪穴式住居が復元されています。中をのぞくと炉を囲んだ夫婦と子どもの3人の家族が座っていて、当時の暮らしを知ることができます。

ここで公園のベンチで一息。そして、次の目的地である「菅刈公園」に。目黒川を越えて歩くこと10分ほどで到着です。

菅刈公園

菅刈公園は明治時代、西郷隆盛の弟、西郷従道侯爵の別邸があった場所です。旧西郷邸庭園の遺構を調査し、池の一部と2つの滝を復元して、菅刈公園を、当時「東都一」とうたわれた、優美な日本庭園の面影を今に残す公園としました。

公園には和館を新たに建て、復元された庭園の姿を眺められる「庭園展望室」、西郷家ゆかりの書画の展示など公園が開園するまでの歴史が分かる「展示室」、茶道や句会などが楽しめる「和室」があります。

そして、スタンプはいよいよ8つ目に。ラリーも終盤です。

9カ所目の目的地は「目黒銀座観音」。目黒川沿いに15分ほど歩いて到着です。

目黒馬頭観音

中目黒駅からもすぐの目黒銀座通りの中程に、この「目黒銀座観音」があります。今の中目黒からは想像できませんが、大正時代、この辺りは小規模の乳牛牧場や馬力運送が多く、牛や馬が労働力として活躍していました。その牛馬の息災を守り、弔いをするために建立されたとのことです。区役所と中目黒駅との間にあるので、区の職員にとってもお馴染みの存在です。

そしていよいよ、最後の目的地「祐天寺」へ。目黒区役所を横目に、約10分のラストスパートです。

祐天寺

江戸中期に祐天上人を開山とし、高弟の祐海上人が創建。将軍・徳川吉宗から「明顕山祐天寺」の寺号が授与されるなど徳川家とゆかりのある寺として栄えました。東横線の駅名として知名度は抜群ですが、実際に足を運んだことがあるかたはどれぐらいいるでしょうか。

ところで、祐天寺境内に建てられている「累塚(かさねづか)」をご存じでしょうか。

累塚2

累塚1

この「累塚」には、歌舞伎の演目にもなるような「怪談」が存在します。詳細は省きますが、「累(かさね)」という怨霊を祭っていて、怨霊払いである祐天上人が呪術で成仏したとされています。この話は事実に基づいて作られたと言われており、気になるかたはぜひ調べてみてください。

「デジタルスタンプラリー 歴史文化財まち歩きinめぐろ」では、スタンプスポットを回る順番が指定されていたり、モデルコースがあったわけではありませんが、私にとって祐天寺は、まさにゴールにふさわしい最高のスポットでした。

結局、約4時間のラリーとなった北部地区の歴史文化財巡り、いかがでしたか。
紹介したスポットに興味を持っていただけましたら、ぜひ訪れてみてください。運動不足解消、犬の散歩、写真撮影、きっかけは何でもいいと思います。目黒のまち歩き、私もクセになりそうです。

 

(広報課:ヤシノソ)

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