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戦前の学校教育を伝える「金庫式奉安庫」が見つかりました
区立原町小学校で、約80年前のものとみられる「金庫式奉安庫」(きんこしきほうあんこ)が発見されました。テレビや新聞でも取り上げられましたので、ご存知のかたもいらっしゃるかもしれません。
7月下旬、原町小学校からめぐろ歴史資料館に移設されると聞き、その姿を見に行ってきました。
金庫式奉安庫とは?
戦前、「御真影」と呼ばれた天皇・皇后の肖像と教育勅語を納めていた丈夫な金庫。金庫の形ではなく、建物の場合は「奉安殿」(ほうあんでん)と呼ばれていました。昭和20年、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)が公布した、いわゆる「神道指令」(国家神道、神社神道ニ対スル政府ノ保証、支援、保全、監督並ニ弘布ノ廃止ニ関スル件)によって、ほとんどが撤去されてしまったと言われています。
こちらの写真が「金庫式奉安庫」です。
今年2月、めぐろ歴史資料館の研究員が、区内小学校の所蔵資料の調査で原町小学校を訪れた際、職員室の入り口付近で見つけました。伝説の鳥、鳳凰(ほうおう)が描かれた重厚な扉を開いたとき、中に皇室を示す桐の紋章が現れたため、すぐに奉安庫ではないかと気付いたとのこと。その後、専門家への確認などを経て、23区でも数基しか現存していない「金庫式奉安庫」であることが判明しました。
見た目は、とても丈夫そうな黒い金庫です。大きさは、縦62センチメートル、横97センチメートル、高さ121センチメートル。重さは分かりませんが、数百キログラムと推定され、1,130度の高熱に約6時間も耐えられるそうです。空襲で校舎が燃えたとしても、中に納めた「御真影と教育勅語」は燃えさせないという当時の強い思いを感じました。
この発見と同時に、原町小学校からは、戦前の学校日誌など貴重な資料も多く発見され、当日、奉安庫と一緒にめぐろ歴史資料館へ運ばれました。見つかった資料をめくると、奉安庫を守ることが当直の第一の仕事であると記載されていました。原町小学校に奉安庫が設置されたのは、昭和13年に開校した頃ではないかとのことですが、今後、資料の分析によって、また新たな発見があるかもしれません。
原町小学校の福井副校長は、「その歴史的価値に気付かず、保管庫として継続して使用してきたことで、現在まで残すことができたのだろうと思います」と話してくれました。
未使用時の「大谷グローブ」も奉安庫で保管!
めぐろ歴史資料館の篠原研究員は、「戦前、子どもたちは、奉安殿や奉安庫の前では、最敬礼をしなければなりませんでした。戦前の教育を経験した方々にとって、今でも記憶に残る事柄ではないでしょうか。また、清水稲荷神社(目黒本町一丁目)の拝殿は、かつて鷹番小学校にあった奉安殿が移築されたものなのですよ」と話してくれました。
清水稲荷神社の拝殿は、奉安殿を移築したもの
このたびの発見は、戦前の子どもたちの教育環境を垣間見ることのできる貴重なものということで、複数のメディアによって大きく報道されました。見つかった「金庫式奉安庫」は、現在、めぐろ歴史資料館で、どなたでも見ることができます。終戦から79年、戦争の記憶が徐々に失われつつある今日、この発見を大切にし、一人一人が戦争や平和について改めて考えるきっかけにつなげていきたいと思いました。
この夏、区内で発見された歴史的価値ある資料を確かめに、ぜひめぐろ歴史資料館にお越しください。
広報課:めがねめがね
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