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特集
新春対談 王 貞治×青木 英二「目標に向かって進む日々を」
令和6年最初のめぐろ区報は、目黒区名誉区民であり、福岡ソフトバンクホークス会長である王貞治氏(以下、王会長)と区長の対談をお届けします。ホームランの世界記録保持者で、第1回WBC(ワールド・ベースボール・クラシック。野球の世界一決定戦)の優勝監督でもある王会長に、新たな年を迎え、さらに力強く前に進もうとする区民へのエールをいただきました。
お問い合わせ:広報課(電話:03-5722-9486、ファクス:03-5722-8674)
目黒区長と目黒区名誉区民 王会長のご紹介目黒区長 区民の皆さんにずっと住んでいただけるようベストをつくします 目黒区原町生まれ。目黒区議会議員、東京都議会議員を経て平成16年目黒区長に就任。 目黒区名誉区民 目標を持って一つ一つ積み重ねる。それが大切ですね 昭和15年生まれ。早稲田実業高校卒業後、読売ジャイアンツに入団。一本足打法の打者として活躍し、昭和52年に756本塁打で世界記録を達成、第1回国民栄誉賞を受賞。平成22年10月に目黒区名誉区民となり、同年11月には文化功労者に選ばれる。 |
令和5年を振り返って
区長 |
あけましておめでとうございます。新しい年のスタートに、目黒区名誉区民である王会長をお招きしました。めぐろ区報新春号には、名誉区民になられてから13年ぶりのご登場になります。 |
王会長 |
あけましておめでとうございます。本日はよろしくお願いいたします。 |
区長 |
まずは、昨年を振り返りたいと思います。5月8日にコロナの感染症法上の位置付けが2類から5類に移ったことで、まちにもにぎわいが戻ってきました。 |
王会長 |
やはり、春に行われたWBCが印象に残っています。かつてない注目を集めた大会で、大谷翔平選手をはじめ、選手たちが素晴らしい活躍をしてくれました。日本中が優勝を期待して見ていた中で、本当に優勝を勝ち取ったのはすごいことです。WBC優勝の勢いが、そのまま日本野球界にも追い風になり、シーズンを通じて大変盛り上がったと思います。 |
区長 |
メジャーリーグでも、日本の選手たちが躍動しましたね。 |
王会長 |
私が現役だった頃は、メジャーリーグでプレーすることは、まだ遠い夢でした。その後、野茂投手がパイオニアとなり、イチロー選手や松井選手らが続きました。私たちの時代は、アメリカの選手との体格差もありましたし、相手を仰ぎ見るようにプレーをしていましたが、今は大谷選手のように日本人選手の体も大きくなり、対等にプレーしています。日本とアメリカというよりも、AチームとBチームが戦っている、と純粋に見ることができます。日本人選手が一つ一つ階段を上り、野球のレベルも精神力も高くなっていったんですね。アメリカでチャレンジして大活躍してくれる日本の選手がもっと出てきてほしいです。 |
区長 |
王会長は、野球という天職に巡り合い、長く活躍され、今なお現場に立ち続けていらっしゃいます。野球との出会いを振り返るといかがでしょうか。 |
王会長 |
私はどちらかというと飽きっぽく、持続性がないんです。でも野球だけは本当に飽きない。もう80歳を超えていますが、野球をやっている時は「やはり野球人だ」と皆さんから言われます。野球との縁は幸運な巡り合いだったのでしょうね。子どもの頃、周りで野球をしている人を見て、自分も始め、続けているうちにもっとやりたい、うまくなりたいという気持ちになっていきました。高校時代は、1回でいいから行きたいと思っていた甲子園に、私は4回行けたんです。私は案外いいかげんなところがありますが、野球だけは目標を持って突き詰められた。野球との出会いに心から感謝しています。 |
目黒区とのかかわりと思い出
区長 |
今は福岡に居を構えていらっしゃいますが、それまでは約40年間目黒におられました。目黒区との関わりや思い出などお話しいただけますでしょうか。 |
王会長 |
目黒区には本当に長年お世話になりました。大変住み心地のいいまちだったと思います。私は区役所の手続きなどは全部自分でするので、区役所の皆さんにもお世話になりました。今は区民でなくなってしまったので、残念なことをしたと思っています。 |
区長 |
王会長には、長きにわたり本区の啓発事業・区政の進展に貢献していただきました。平成22年には名誉区民になっていただき、また、この年には少年野球の大会「名誉区民王貞治杯」を創設しました。今でも子どもたちが優勝を目指して一生懸命練習をしています。 王会長が世界新記録となるホームラン756号を打った時のことは、当時大学生でしたが、今でもよく覚えています。記録達成の翌朝、ファンのかたが区内のご自宅前に大勢詰めかけたテレビ映像を見たことがあります。 |
王会長 |
私の家は出入り口が1カ所しかなかったので、並んでいるファンのかたへのサインを終えないと家に入れませんし、球場に行けないこともありました。時間がかかって少し苦労したこともありますが、我々のような仕事をしていて、あれだけファンのかたが来てくれるというのはうれしいことです。 |
区長 |
目黒区に住まれていかがでしたか。 |
王会長 |
自宅のすぐそばにあった中根公園へ散歩に行くと、お母さんと子どもさんが遊ぶ姿に心が休まることもありました。子育ての地としてもとてもよかった。坂も好きでしたね。アップダウンがあって、ランニングなどをするといい運動にもなりました。目黒区は方角がいいなと思って住んでいたので、プロ野球選手を続けていく上で追い風となる土地に住めたことは、運がよかったと思っています。 |
区民の皆さんへ
区長 |
王会長は、平和についても発言されています。今、世界的に難しい情勢になってきていますが、どのようにお考えでしょうか。 |
王会長 |
やはり、戦争はしてはいけないと思っています。とはいえ、残念ながらいつも戦争はあって、100年たってもなくならないかもしれない。ただ、一人一人が自分の命だけじゃなく、人の命も大事にするということを忘れないようにして、相互理解を深め、傷つけ合わない世の中になればいいと思います。幸い、戦後の日本はこれだけ平和を保ってきたのですから、これからもそういう努力はみんなでしていきたいですね。 |
区長 |
若い世代に、そして王会長と同世代の方々にもメッセージをいただけますか。 |
王会長 |
若い人たちは今、競争の激しい時代を生きています。でも、すぐに答えを求めず、目標を持って一つ一つ積み上げていってほしいと思います。そして、我々の年代は健康が一番大事。私は、健康寿命を1年でも長くしようと気を付けています。公園を散歩したり、区長のようにラジオ体操をしたりと、今の自分にできることをやればよいと思います。ある程度自分の体に負荷をかけないと衰えてしまいます。自分の力で歩いていたいし、何でもしたいですよね。 |
区長 |
区民の皆さんに一言お願いします。 |
王会長 |
まず私としては、この3年間、チームが日本シリーズに出られませんでした。日本シリーズに出られないということは、日本一になれないということ。今年はファンのかたも日本一を待ち望んでいるでしょうし、自分たちもそれを目標にしています。そのためにはモチベーションが必要なので、選手たちには自分の将来像を描いて希望を持ってもらえるようにしたいと思っています。 |
区長 |
王会長は辰年生まれだと伺っていますが、どのような1年にしたいと考えていますか。 |
王会長 |
そうですね、自分なりに都合よく解釈して、今年は自分の年だと思って、力強く前に進んでいきたいと思っています。 |
区長 |
私からも区民の皆さんにごあいさつ申し上げます。昨年は、区政発展にご理解ご協力をいただき、ありがとうございました。 昨年実施の世論調査では、95.6パーセントの区民が目黒に住み続けたいと思っているという、23区トップクラスの結果となりました。引き続き、住み続けたいと思っていただけるまちづくりをしていきたいと思います。そして、区民の皆さんの今年1年のご多幸をお祈りしまして、新年のメッセージとさせていただきます。 |
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