更新日:2013年9月20日
海難供養碑(右灘目、左白子組)
昭和62年3月3日
江戸時代
屋外
目黒区中目黒五丁目24番53号 祐天寺(ゆうてんじ)
東急東横線祐天寺(ゆうてんじ)駅下車9分。または、
の、いずれも祐天寺(ゆうてんじ)バス停下車4分
祐天寺境内には灘目(なだめ)の海難供養碑と白子組(しろこぐみ)の海難供養碑の二基の碑が残されています。船籍(せんせき)所在地における資料の裏づけもあり、それぞれの碑は、江戸期の商業経済史、海上輸送史、海難史の研究資料です。
高さ164センチメートル、正面に「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」と大きく刻まれています。碑の右面の銘文には、寛政(かんせい)8年(1796年)正月23日に相模灘で暴風に遭遇し、樽廻船の観力丸(かんりきまる)と永寿丸(えいじゅまる)が沈没し乗組員33名が犠牲となったことが記されています。碑の左面には乗組員の戒名が刻まれています。
高さ249センチメートル、正面に「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」と大きく刻まれています。白子組(しろこぐみ)は江戸の木綿問屋仲間です。碑の右面に文政(ぶんせい)2年(1819年)に遠州灘で広寿丸(こうじゅまる)が暴風に遭い沈没し、犠牲者14名の供養のために建立したことが記されています。碑の左面には犠牲者の名前など、台石裏面に文政(ぶんせい)4年(1821年)の建立年が刻まれています。また台座には、そのほか4件の海難事故の犠牲者を追記しています。