松崎慊堂墓 東京都指定文化財旧跡

更新日:2013年9月17日

松崎慊堂墓の写真
松崎慊堂墓

指定年月日

昭和30年3月28日

公開の有無

屋外

所在地

目黒区中目黒四丁目12番19号 長泉院(ちょうせんいん)墓地内

交通

東急バス目06系統(目黒駅前から三軒茶屋駅)自然園下(しぜんえんした)バス停下車4分

解説

松崎慊堂(まつざきこうどう)は、江戸時代後期の儒学者です。肥後国に生まれ、10歳頃に寺に預けられましたが儒学を学ぶため江戸に出て昌平こう(昌平坂学問所)に入りました。
さらに林述斎(はやしじゅっさい)の塾で佐藤一斎とともに学び、享和(きょうわ)2年(1802年)掛川藩お抱え儒学者となりました。林述斎(はやしじゅっさい)が当って来た朝鮮通信使の応接を、松崎慊堂(まつざきこうどう)が代行し、以後これが手本になったといいます。

文政(ぶんせい)5年(1822年)から渋谷に隠棲し、学問の研究と門弟の指導に専念しました。天保(てんぽう)10年(1840年)には、蛮社の獄で捕らえられていた門人渡辺崋山の身を案じ、時の老中に建白書を提出したといわれています。
弘化(こうか)元年(1844年)74歳で没しました。