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駒場公園のガイド
駒場公園内のスポットを紹介します。
現地案内板には古写真も掲載しておりますので、和館にお越しいただいた際は探してみてください。なお、以下の建築物等は平成25年に国の重要文化財(建造物)の指定を受けました。
正門および塀
旧前田家本邸はもともと本郷(現在の東京大学内)にありましたが、昭和5年(1930)、旧加賀藩主前田家16代当主前田利為(としなり1885-1942)侯爵が駒場に本邸を移転しました。駒場本邸の敷地は約4万平方メートルあり、正門前の花崗岩の敷石と縁石は本郷邸で使用されていたものです。正門は間口6.2メートル、門柱から左右に塀が延び、門衛所が付属します。
門衛所
正門に付属する鉄筋コンクリート造平屋の門衛所で、小窓の柱頭飾りやピラミッド型の尖塔型屋根の意匠に特徴があります。外壁のスクラッチタイル貼など洋館と共通する仕上げや意匠が用いられており、洋館と同一設計者の設計によると思われます。前田侯爵が住んでいた時は、ここに門番がいて訪問者のチェックをしていました。往時の前田家の使用人は100人以上いたと伝えられます。内部は改装されていますが、外観は創建時の姿をよく留めています。
洋館
留学や駐在武官としてヨーロッパ滞在の長かった前田利為侯爵は、駒場本邸(洋館)を内外の賓客をもてなすにふさわしい邸宅として、昭和4年(1929)に竣工しましたが、当主一家の住居でもありました。設計は高橋貞太郎です。鉄筋コンクリート造地上2階・地下1階建で、当時最新の設備を取り入れる一方、外観はイギリス貴族の館であるカントリー・ハウス風の意匠とし、伝統的で重厚なイギリスのチューダー様式でまとめています。外装は石川県小松市産の凝灰岩である大華石(たいかせき)やスクラッチタイルで装飾されています。第二次世界大戦中に前田侯爵が戦死し、戦後は一時期連合国軍GHQが司令官の事務所などとして使用しましたが、内外部とも創建当時の状態を良く留めています。隣にある和館とは、外廊下でつながっています。
洋館庭門および塀
洋館の玄関周りと、南の芝庭などの庭園とを区切る塀です。洋館から車回しの円周路に沿って西へ延び、中央にパーゴラ(腰掛付き)と西寄りに庭門を設けています。洋館と同様に、大華石やスクラッチタイルで装飾されていますが、門扉、鉄柵、パーゴラ、腰掛などは失われています。南の芝庭では、かつては園遊会が開かれ、また侯爵の家族が乗馬やスキーを楽しんだと伝わります。洋風の芝庭の周囲には築山が築かれ、その奥の園路周辺には石灯籠など和風のしつらえが配されています。
和館門および塀
洋館の東側に設けられた和館は、周囲を和風の門や塀で仕切り、南側には和風の庭を配した和の空間を作り出しています。和館門は、唐破風が両側面につく平唐門という形式で、唐破風頂部の鬼瓦には前田家の幼剣(ようけん)梅鉢紋が掲げられています。和館塀は、上部を格子に、下部を割竹張りとする形式で、格子から和館が見え隠れします。また、門から和館玄関までは石畳みの園路を斜めに取るなど、重厚になりすぎない配慮がされています。平成24年(2012)にX線調査を行ったところ、門の柱廊部にアンカーボルトが埋め込まれていることが分かり、関東大震災(大正12年)後の設計ということもあり、当時から優れた耐震対策が施されていました。
和館
外国からの賓客に日本文化を伝えるために、昭和5年(1930)に竣工した木造2階建の近代和風建築で、迎賓のほか、前田家の四季折々の行事にも利用されました。外観は、玄関側の北面は破風屋根が重なる重厚な意匠とし、庭側の南面は京都の銀閣寺を思わせる姿となっています。内部は畳敷きの大廊下や広い続き間のほか茶室も設けられています。設計は、佐々木岩次郎で、茶室は三代目木村清兵衛によるものです。隣接する洋館とは渡廊下でつながっています。戦後は一時期、連合国軍GHQ司令官の住宅などに使用されましたが、内外ともに創建時の状態を良く留めています。
大廊下(杉戸)
大廊下の両端に設けられた杉戸には、接客空間と日常空間を分ける結界としての役割があります。杉戸に描かれた、美しく採色された四季折々の花鳥図は、明治期を代表する日本画家・橋本雅邦(がほう。1835-1908)によるもので、前田家本郷邸で使用されていたものと伝わります。
茶室
木村清兵衛の設計になる、裏千家の代表的茶室である又隠(ゆういん)を基にした(写しとした)、四畳半の席の茶室です。又隠の席名は、千利休の孫である千宗旦(1578-1658)が、隠居所として今日庵(こんにちあん)を建てたのち、再度の隠居に際して新たに造って「また隠居した」ことに因むものです。ただし又隠では窓であった床の右手が、この茶室では立ったまま出入りできる貴人口(きじんぐち)となっています。
御客間(主室)および御次之間
約40畳ある続き間で、部屋境は筬欄間(おさらんま)と襖障子で穏やかに仕切られています。上座である御客間は、大振りの床の間、鳥居型の違い棚、明障子付きの付書院を備えた、いわゆる書院造となっています。大大名家であった前田家の高い格式を示しています。
和館庭
和館の南に面した、流れを中心とした池泉庭園で、灯籠や景石の一部は本郷邸などから移されたものと伝わります。和館西側の茶室の向かいには露地(茶庭)が設けられ、また、東側の煎茶室(金沢市に移築)周辺には中国趣味の庭が設けられるなど、多様な景色を楽しむことができます。前田侯爵は、外国から客人があったときなどだけに、池に水を流しました。滝をあえて左奥に設置し、池というよりも流れを楽しむようにしました。
小座敷
続き間から中廊下を隔てた奥の、10畳の小座敷です。もともとの用途は未詳ですが、床の間と違い棚を備え、襖には雅邦の四季山水図が使用されていたことから、格式のあった部屋であることが分かります。
入側
いりがわ。書院造で濡れ縁と座敷の間の一間幅の通路。ここは畳敷きとなっていて、目の前の日本庭園の眺望が楽しめます。
浴室
階段の踊り場に設けられた便所と浴室です。当時としては最新設備であったドイツ製ボイラーのほか、洋風のバスタブ、洗面台と洋式の便器(この2点は東洋陶器製)が備えられ、浴室の床もタイル張となっています。
廊下(階段、杉戸)
和館は高さのある2階建てで、吹き抜けの階段室を備え、階段高欄(手摺)には、伝統的な社寺の意匠を用います。また階段廊下と御書斎の境には、水墨で松の描かれた杉戸があります。
御居間(二階)
床の間と違い棚を備えた格式のある部屋で、違い棚奥を飾る金砂子(きんすなご)紙は、和館で唯一の当初の壁紙として貴重です。格天井(ごうてんじょう)の割付や、南面全面をガラス窓にするなど、1階に比べるとより軽妙な意匠となっています。かつて煎茶室のあった東方に向いた壁には円窓(えんそう)が設けられています。
茶室待合
茶会の際に、客人が待つ場所として用意されました。茶室への路地伝いにあり、茶室とは流れによって隔てられています。前面には4人程度が座れる腰掛と、背面側には雪隠(せっちん。便所)があり、客人が気持ちを整え、快適に過ごす工夫がされています。木造・銅板葺で、杉丸太の柱、天井は化粧屋根裏、内外部の壁は白漆喰塗です。客人は、主人から呼ばれると、「にじり口」という低くて狭い戸から、頭をぶつけないように茶室に入ります。これは、全ての人は平等という考えや、日本人のお辞儀の挨拶につながると考えられています。
洋館渡廊下および和館渡廊下
洋館と和館を繋ぐおよそ30メートルの渡廊下で、和館側は木造で和風の意匠、洋館側はスクラッチタイルや大華石を用いた洋風の意匠であるのが特徴です。洋館部分が高橋貞太郎、和館部分が佐々木岩次郎の設計と言われています。渡廊下中央の東屋は和洋の意匠が切り替わる場所で、境には小松城の鬼門であった兎門扉(現在は小松市立博物館蔵)がありました。
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