更新日:2013年10月1日
「歴史を訪ねて」は、「月刊めぐろ」昭和54年6月号から昭和60年3月号の掲載記事を再構成し編集したものです。
駒場農学校
名誉教師ケルネル君像
井の頭線駒場東大前駅西口から出て、線路沿いの道を西へ進む。まもなく左手に、駒場野公園が見えてくる。北門から入って、右側が駒場の池、左側が日本農学発祥記念の地「ケルネル
明治の初め、政府は、殖産興業政策のひとつとして、経験に基づいた日本の在来農法に、先進資本主義諸国の農業技術を積極的に導入しようと図った。そのため、農業技術を指導する外国人教師が、さかんに招かれた。クラーク博士を教頭に迎え、アメリカ系統の農業技術を取り入れたのが札幌農学校(現北海道大学)であり、ケルネルらを通じて、ドイツ農法を吸収したのが駒場農学校であった。
開校当時の駒場農学校
駒場農学校は、現在の東京大学教養学部、駒場公園、東京大学駒場リサーチキャンパス、駒場野公園(旧東京教育大学移転跡地)にまたがる約6万坪の敷地で、明治11年に開校された。その後、次第に拡張され、最盛期といわれる明治17年には、敷地面積が16万5,000坪に達し、欧米の農作物を試植する
船津とケルネル
駒場農学校が、
船津伝次平は、農学校の教官に抜てきされると、自ら先頭に立って駒場の原野を開墾した。その後、本邦農場を使って、日本の農業に欧米農法の長所を取り入れることに努めたという。
一方、ドイツ人オスカー・ケルネルは、明治14年、政府の招きに応じ、農芸化学の教師として着任。
伝統の火は消えず
農学校開校以来、100年以上の歴史を見守り続けてきたケルネル田んぼの伝統は、世田谷区池尻にある筑波大学付属駒場中学・高校の生徒たちの手によって、今なお受け継がれている。同校の生徒たちは、毎年6月に田植え、10月に稲刈りをする。収穫した米は、卒業式・入学式の折に赤飯にして、生徒たちが賞味するという。
なお、旧東京教育大学農学部移転跡地のうち約2万8,000平方メートルは、ケルネル田んぼや池・雑木林を残しつつ、テニスコートや体育館などを備えた駒場野公園として、昭和61年3月に開園した。
