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めぐろの歴史
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目黒の目黒は馬に縁の深い土地で、馬にまつわる民話も幾つかあります。区内で確認されている馬頭観音は、民間信仰や生活の歴史を伝える貴重な文化財なのです。
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地蔵尊はそれぞれに由来や伝説を秘め、お寺の境内や往来の辻々にひっそりとたたずんでいます。
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数十年前まで、目黒川で水遊びや魚捕りができ、友禅流しが行われていました。田園都市線池尻大橋駅近くで目黒区内に入り、区の東部を山手通りとほぼ平行に約4キロメートル流れて、品川区へ入ります。
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歴史を訪ねて 目黒の川 2 呑川・立会川(のみがわ・たちあいがわ)
幕末から明治のにかけて、目黒の水田地帯は目黒川・立会川・呑川の各流域に集中し、川べりには、精米・精粉の水車がのどかな音を響かせていました。
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区内には現在、約70基の庚申塔があります。民間信仰の中でも古いとされる庚申信仰の歴史を訪ねてみましょう。
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目黒にある、特色ある祭りをご紹介します。
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街道筋や辻に立って旅人を導く道しるべ。郷土の石造文化財として、区内には約30基の道しるべがあります。
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国木田独歩、広津柳浪、田山花袋などの作品に描かれた目黒には、武蔵野の面影を見ることができます。
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土岐善麿、獅子文六、石坂洋次郎などの作品に描かれた目黒区と、日本近代文学館をご紹介します。
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目黒区では、昭和19年10月には国民学校の児童が山梨県と福島県に集団疎開し、昭和20年8月15日の終戦までに区の約30パーセントが焼き払われるという苦しみを体験しました。
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川と川に流れる水は、農業や工業の動力源です。水を利用するために、目黒でも多くの水車が活躍しました。
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徳川幕府は公用の旅行者や荷物を宿駅から宿駅に送る伝馬制度を敷き、宿駅には必要な人手や馬を常備することを義務付けました。その補充として、宿駅周辺の村々に課役を負わせたのが助郷制度なのです。
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昭和の初めころまで、目黒には竹林があちこちにあり、タケノコは重要な農産物でした。目黒式タケノコ栽培法を知りたい方はぜひごらんください。
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今日の目黒区に至る道のりには、多くの人びとの努力がありました。昭和7年10月1日の目黒区誕生前をたどります。
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昭和7年の市区郡合併から昭和50年4月に実施された再びの区長公選制までを紹介します。
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目黒を背骨のように貫く東横線、それに接続する地下鉄日比谷線、南に目黒線・大井町線、北に田園都市線・井の頭線、東に山手線。これらの鉄道は、目黒の発展に大きな役割を果たしました。
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鉄道は目黒の竹林を切り開いて開通し、点在していた住宅は線状に増えていきました。目黒が山の手の住宅地として変貌し始めたのです。
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安藤広重の浮世絵には、富士山を望む目黒からのものがあります。今日では昔をしのぶよすがもありませんが、浮世絵とともに人々の心に伝えられることでしょう。
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昭和30年代ころの目黒は、まだまだ畑があちこちにあり、野良仕事に精を出す農夫の姿が見られました。都心への野菜の供給地として、大きな役割を果たした目黒の野菜づくりをご紹介します。