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go to TOGO MURANO's ARCHITECTURE(村野藤吾の建築 目黒区総合庁舎)
目黒区総合庁舎は、かつて千代田生命保険相互会社の本社ビルでした。1966年に竣工したこの建物は、日本の高度成長期における建築家・村野藤吾氏の代表作の一つとして知られています。区政の中心拠点であり、区民の交流・情報交換の場として、区のシンボルでもある総合庁舎の魅力を改めて発見していく連載です。
建築家 村野藤吾
1891年佐賀県で生まれた村野藤吾は、早稲田大学在学中に建築への道を決心し、大阪の渡辺節建築事務所を経て、村野建築事務所を設立しました。独自の作風で300を超える個性豊かな建築を設計し、旧千代田生命保険相互会社本社ビル(現総合庁舎)では、第10回BCS(建築業協会)賞を受賞。その後、1984年、93歳で亡くなるまで日本建築学会建築大賞、毎日芸術賞など数々の賞を受賞した、日本を代表する近代建築の第一人者です。
村野藤吾が手掛けた主な作品
- 八ヶ岳美術館・原村歴史民俗資料館
- 新高輪プリンスホテル(現グランドプリンスホテル新高輪)
- 箱根プリンスホテル(現ザ・プリンス箱根芦ノ湖)
- 迎賓館(旧赤坂離宮改修)
- 日生劇場
- カトリック宝塚教会
- 世界平和記念聖堂
- 日本橋高島屋(改修)
- 関西大学 ほか
vol.1 目黒区総合庁舎に用途変更するまで
新庁舎に移るまでの経緯
目黒区旧庁舎は2001年当時23区の庁舎でも一番古く老朽化が進んでおり、耐震補強の必要性がありました。また、事務事業の増加でスペース確保のため、庁舎が6カ所に分散し、民間ビルの一部を借り上げるなど非効率な状況となっていました。
これらの課題を解消するため、2001年、千代田生命保険相互会社本社ビルを取得しました。
1936年設立時の目黒区旧庁舎
区のシンボルとして生まれ変わった
現庁舎の敷地は約18,800平方メートルで、旧庁舎周辺用地の1.5倍以上の広さがあります。千代田生命保険相互会社本社ビル以前にはアメリカンスクール、さらにその前は牧場があったといわれています。
この広い敷地に建物をどう構成するか、村野氏は多くのスケッチと粘土模型でデザインを練り上げ、建物内外に建築家・職人・美術家による協働の結晶が見られる千代田生命保険相互会社の本社ビルを完成させました。そして、この歴史的かつ文化的な建物を損なわないよう守りながら、十分な耐震補強工事と、区民がより利用しやすいよう改修工事を経て、現在の目黒区総合庁舎となりました。
現在の目黒区総合庁舎
1966年竣工当時中目黒駅側からの外観
村野藤吾語録
「常に明るく、光を吸収でき、そして道路面からできるだけ離して、一つの静かな町になるようにと考えたからです。」
(「光と肌理 千代田生命本社の設計について」建築文化1996年8月号より)
vol.2 駒沢通りから南口玄関へ
村野のこだわりがみえる、南口玄関までのアプローチ
千代田生命保険相互会社本社ビルから現在の総合庁舎に改修する際、大きく変貌を遂げたのが、駒沢通りから南口玄関まで続くアプローチでした。改修前、正門は駒沢通りに面した坂の途中にありました。南口玄関まで続く石畳の長いアプローチは、周りにたくさんの樹木が植栽された築山になっていました。うっそうと生い茂る樹木が目隠しとなって正門から建物を見ることはできず、右に曲がったアプローチを進むとようやく建物が姿を現します。これが、村野の粋な演出でした。
区民の利便性を考え、現在は、正門があった築山と南口玄関の間に、右折車両を誘導するための区道を整備し、当時の築山は中目黒しぜんとなかよし公園として、小さいながらも緑豊かな公園として親しまれています。また、道路整備箇所にあった樹木は区内の公園などに移植しました。
千代田生命保険相互会社本社ビル時代の来客用正門
正門からは、建物は見えません。石畳の坂道を上がるにつれ、縦格子が印象的な外観が徐々に姿を現します。村野の演出に来客者たちは、さぞ感銘したことでしょう。
現在は中目黒しぜんとなかよし公園に
vol.3 南口玄関、車寄せのひさし
流れるような曲線が美しい、T字型のメタリックなひさし
南口玄関の正面には、翼を広げたような形をした、アルミニウムの車寄せのひさしがあります。改修前、駒沢通りに面した正門を入り、築山(現在の中目黒しぜんとなかよし公園)を抜けると、この雄大なひさしが最初に訪問客を迎え入れました。
ひさしは、左右それぞれ8本ずつ、不規則に立つステンレス製の柱で支えられています。村野はこの柱の配置で、ひさしをできる限り軽やかなイメージにしたいと考えていました。下から見上げた時の見え方をイメージしながら、何度も図面を書き直し、最後までこだわった箇所の一つです。
柱のうちの2本は、雨水を排水する竪樋(たてどい)としての機能を併せ持っています。
また、柱の地面と接する部分は曲面で仕上げられています。大地から生え上がり、空に向かって力強く伸びていく自然を表現した、村野の建築によく見られるデザインです。角を嫌った村野は、細かい部分まで曲面にすることにこだわり、庁舎の至るところで見ることができます。
vol.4 アルミ鋳物の縦格子が包む外観
総合庁舎で最も印象的なデザインの一つが、外壁の全面を覆うアルミ鋳物の縦格子。竣工時、周囲が住宅街であったため、外壁のデザインは光を反射するものではなく、建物全体を格子のバルコニーで覆うことで、光を吸収できる影の部分をつくろうと、村野は考えました。
屋上に視線を移すと、縦格子の先端が空に向かって伸びています。この縦格子は、約8,900ユニットで構築され、当時アルミ鋳物格子は大胆かつ斬新であり、日本初の試みでした。この曲線を使った縦格子のデザインからも、角を好まなかった村野の細やかなこだわりを見てとることができます。
光を吸収するバルコニー。外光は、この縦格子とバルコニーを通してやさしい光に表情を変え、室内に差し込みます。
vol.5 南口玄関へと続く築山
築山とせせらぎ
駒沢通りから南口玄関にかけてゆるやかなカーブを描く築山を利用し、縦横のラインを強調した直線的な建物と自然の融合を見事に表現した村野。築山を囲むようにせせらぎも流れています。実は当時の旧千代田生命保険会社社長の発案で、築山の場所に劇場を造る計画を練っていました。しかし、これは実現することなく幻の計画となりました。
駐車場になっている広場から、せせらぎにかかる石橋を渡り、築山の坂の小路を登ると南口玄関に至ります。玄関前に配された敷石と築山の芝生は、やわらかく絡み合い、優しい印象を与えています。ここにも村野のさりげないこだわりが感じられます。
築山を囲むせせらぎ
玄関前の敷石
vol.6 エントランスホール全体(非対称の壁)
アクリルオブジェと室内池
南口玄関棟を入ると高い天井のエントランスホールになっており、床も壁も白大理石張りです。左手には、十字型のアクリルのオブジェが配置されています。オブジェ越しには低い地窓から小石を敷き詰めた庭が見え、外光が間接照明のように差し込みます。右手には、地窓から入る光が室内の池の水面に反射して天井淡く映し出し、窓の外には中庭が広がります。
アクリルオブジェ
室内池
広がりを演出する非対称の壁
エントランスホール内を見渡すと、左右の造りが非対称になっていることに気付きます。右手の室内池には柱があり、左手のオブジェ側には柱がありません。そして、正面のガラスブロックのある出入り口の中心から見ると、池側の方が広くなっています。実は、オブジェ側の壁をホール内側に寄せ、柱を外部に出しているのです。村野は、エントランスホールをあえて非対称に造形し、少し調子を変えることで空間的な広がりが出てくることを意識していました。
vol.7 四季を表す8つのスポットライト
エントランスホールに光を差すトップライト
南口エントランスホールの白い天井には、8つのトップライト(明かり取り窓)があります。見上げるとその内側には、四季を抽象的に表現したガラスモザイクがあしらわれています。これは当時、新進気鋭のモザイク・フレスコ作家・作野旦平が制作した作品です。竣工当時のエントランスホール内の照明は、かなり抑えられており、左右の地窓とトップライトによる自然光、トップライト周りの間接照明、わずかな天井照明、ガラスブロック照明のみでした。村野は、5.45メートルの高い天井の空間全体を引き締め、大理石面を照らす光から、歩を進めるごとに印象を変化させる効果を考えていたのではないでしょうか。
vol.8 ガラスブロック
南口を照らすガラスブロック
エントランスホールの奥には、ガラス工芸家の岩田藤七によるガラスブロック「ファースト・ワルキメデスの幻想」の袖壁があり、間接照明になっています。
玄関側の壁とガラスブロック側の壁は、耐震壁に改修したため、千代田生命保険相互会社時代の白大理石は撤去され、新たな白大理石で復元されました。当時この両壁には、サンゴなどを文字盤にした時計がありました。同じデザインの時計は、役員室や応接室などにも設置されていました。
お問い合わせ
広報課 広報係(区報担当)
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ファクス:03-5722-8674