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更新日:2026年7月15日

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特集

めぐろの歴史物語 目黒の鷹と馬

目黒には長い歴史の中で育まれてきた、さまざまな物語があります。江戸時代の将軍家による鷹狩りや、明治に設置された練兵場や競馬場など、「鷹」と「馬」の記憶は、地域の歴史と深く結び付いてきました。今号では鷹と馬を手掛かりに、身近な地名やまち並みをたどり豊かな歴史をじっくりとひも解きます。私たちのまちの新たな一面を発見してみませんか。

お問い合わせ:広報広聴課(電話:03-5722-9486、ファクス:03-5722-8674)

将軍が愛した目黒の空

1603-1868年 江戸時代
徳川将軍家・鷹狩りの場として確立された目黒

徳川将軍家が鷹狩りをしている様子

江戸時代の目黒一帯は、徳川将軍家の鷹狩りが行われる場所として知られていました。鷹狩りは腕に乗せた鷹を放ち、野鳥を捕らえる狩猟です。同時に、将軍が領内を見て回り、人々の暮らしや土地の様子を見る政治的な行事でもありました。野鳥が多く自然豊かな目黒は鷹狩りに適し、当時の駒場野や碑文谷原などが主要な鷹場となったのです。三代将軍家光が鷹狩りの際に瀧泉寺(目黒不動尊)へ立ち寄った縁で、焼失した本堂が再建されるなど、地域は幕府の厚い保護を受けました。将軍家との深い関わりの中で発展した鷹狩りは、目黒の歴史を語る上で欠かすことはできません。

瀧泉寺「鷹居(たかすえ)の松」の碑

家光の愛鷹が行方不明になり、当寺の僧に祈らせたところ、たちまち鷹は境内の松の枝に戻ってきたといわれています。

「江戸名勝図会 駒場野」歌川広重

歌川広重の描いた浮世絵には、当時の目黒に広がる自然豊かな風景や、鷹狩りの様子が描かれています。

国立国会図書館デジタルコレクション
(参照 2026-06-08)

目黒区国立国会図書館デジタルコレクションを見る

茶屋坂に残る鷹の記憶とさんま落語の物語

茶屋坂の記憶を表したイラスト

将軍家の鷹狩りが盛んだったころ、富士山の眺めが良い「茶屋坂」周辺は休憩場所として大いににぎわいました。ここにあった「爺々(じじ)が茶屋」に、鷹狩りに訪れた徳川将軍がたびたび立ち寄ったとされています。家光が店主の素朴な人柄を愛し「爺(じい)、爺」と親しく呼んだことが名前の由来。この茶屋での出来事がモデルとなって生まれたのが古典落語「目黒のさんま」で、ユーモアあふれる物語として今に語り継がれています。実際には将軍がさんまを食べた記録はありませんが、庶民の味を愛する殿様の姿は広く親しまれ、現在も「目黒のさんま祭」などを通じて、地域を代表する大切な歴史文化となっています。

歴史を訪ねて 目黒のさんまを見る

碑文谷公園

碑文谷公園の弁天池は、江戸時代は現在よりも大きく、野鳥も豊富だったことから、この一帯は将軍の鷹狩りの場所として重宝されていました。

鷹番の地名

「鷹番」という地名は、鷹狩りを管理・監視した「鷹場番所」が置かれたことが由来とされています。

大地に息づく馬文化

1868-1945年 明治から昭和前期
軍隊と馬。のどかな農村から軍馬の訓練地へ

「駒場」は、武蔵野一帯にある「馬」にちなんだ古い地名の一つで、馬の牧場を意味します。「駒」とは馬のことであり、「場」は牧場を指します。現在の東京大学駒場キャンパス周辺に広がっていた駒場野は、近代になると軍用地として注目されました。明治30年にその南側に広大な駒沢練兵場が設けられます。広さは、南北が現在の東山公園から三宿病院、東西は東山中学校から世田谷公園辺りまで及びました。東山の急坂では、数頭の馬に大砲を引かせて上り下りする厳しい訓練が行われ、人にも馬にも過酷だったといいます。

駒沢練兵場の近くで馬の訓練を行う様子

1907-1933年 明治から昭和初期
競馬と大衆娯楽

明治40年、現在の下目黒付近に目黒競馬場が開設され、レース開催日には多くの人でにぎわいました。軍馬改良の流れを背景に始まった競馬は、当時としては新しい大衆娯楽として注目を集めます。昭和7年には第1回日本ダービーが開催されましたが、宅地化の進行などにより翌年の第2回日本ダービーを最後に、府中町(現府中市)の東京競馬場へ移転。現在は「元競馬場」という交差点や「元競馬場前」というバス停が残り、下目黒の住宅街にはコース外周カーブの名残を感じる道も見ることができます。

目黒競馬場の様子

昭和3年ごろの目黒競馬場。二輪の小車を引き、歩く速さで競うトローチングレース(繋駕(けいが)茶屋坂の速歩競走)の馬。

2026年 現代
まちに残る馬の歴史を訪ねて

芦毛塚

鎌倉時代に源頼朝の芦毛の愛馬が蛇崩川で倒れ、供養のために築かれたとされる塚。世田谷区との境にある道路中央に、記念碑があります。

元競馬南泉公園

元競馬南泉公園は、かつて目黒競馬場があった場所の一部です。競馬場のコースをモチーフとした楕円形の広場が3つレイアウトされている公園です。

馬頭観音

本来は人を救う観音様ですが、馬を救い供養する信仰に変化。その姿は頭上に馬の頭を置き、怒りの表情をしており、区内では十数体確認されています。

トウルヌソル像

「元競馬場」の交差点付近にある記念碑です。馬像のモデルは第1回日本ダービーの優勝馬の父馬。第50回の日本ダービーを記念して設置されました。

 

目黒デジタルアーカイブ100では、「目黒の風景」や「めぐろデジタルミュージアム」で区に関する過去の写真・歴史資料を掲載しています。また、目黒の歴史については、区ウェブサイト「めぐろの歴史」などでも公開中です。ぜひご覧ください。

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