歴史を訪ねて 目黒の川 1 目黒川

更新日:2013年10月1日

「歴史を訪ねて」は、「月刊めぐろ」昭和54年6月号から昭和60年3月号の掲載記事を再構成し編集したものです。

目黒の川

うさぎ追いしかの山、小ぶなつりしかの川

ふたをかけられ、下水道の幹線となって地下を流れる川。でも、その川で水遊びや魚捕りができたのは、ほんの数十年前までのこと。「子どものころ、よく川で遊んだもんだ」なんて思い出を持つかたも多いはず。


目黒区内の河川図・緑道図

目黒区内を流れる川には、目黒川水系、立会川水系、呑川水系の3つがある。いずれも東京湾に注ぐ川で、目黒区を通過する部分は、目黒川と呑川の一部を除いて、下水道の暗きょとなっている。

目黒川

目黒川の上流は、世田谷区三宿で北沢川(北沢上水)と烏山川(烏山上水)に分かれる。これらは農民の飲用と灌漑用に、杉並と世田谷の区境、久我山付近で玉川上水を分水してできたもの。田園都市線池尻大橋駅近くで目黒区内に入った目黒川は、区の北東部を山手通りとほぼ平行に約4キロメートル流れて、品川区へ入る。

目黒川には、多くの支流が注いでいる。目黒区内で合流する支流は、駒場野公園と東京大学駒場キャンパス構内の池を源とする空川、世田谷区の弦巻、今の馬事公苑付近から生ずる蛇崩川(じゃくずれがわ)、祐天寺付近から発する谷戸前川(やとまえがわ)、林試の森界隈から品川との区境近くを流れる羅漢寺川(らかんじがわ)である。現在、これらは下水道の暗きょとなっているほか、草木が植えられて緑道となっているところが多い。

江戸時代には、目黒川の水を引いて灌漑用水にすることができたため、川沿いには上田(じょうでん)が多かった。しかし、川幅が狭く水深が浅いため、大雨が降れば川の水があふれ、田畑が冠水することがしばしばあった。


昭和41年目黒川洪水

大正期に入ると、治水とともに目黒川を船が運航できる運河にする計画が立てられ、大正12年に着工、一時中断の後、昭和12年に完成した。これによって、曲りくねった川の流れは、現在のようにほぼ真っすぐになった。しかし、それ以降も、大雨が降ると、上流の烏山・北沢川や支流に注ぎ込んだ雨水が、目黒川の水量を増し、あふれさせることも時折あった。

平成6年(1994年)には、山手通りと駒沢通りの交差点近くの通称「船入場(ふないりば)」に東京都が洪水調整池を地下に設け、大雨のときの備えとなっている。その上部には目黒区が憩いの場を整備した。


目黒川に架かる新橋から太鼓橋を望む

戦前の目黒川は、子どもたちが水遊びをしホタルが飛び交う清流だった。染物屋が目黒川で色鮮やかな友禅流しをしていたのも、昭和30年代後半までの話。30年代後半までは、魚も泳いでいたという。今、広重の浮世絵とはすっかり趣の変わってしまった太鼓橋から川面を見下ろすと、潮の干満の影響もあり、昔日の面影はない。