更新日:2017年6月20日

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歴史を訪ねて 大鳥神社

「歴史を訪ねて」は、「月刊めぐろ」昭和54年6月号から昭和60年3月号の掲載記事を再構成し編集したものです。

大鳥神社

「目黒のお酉さん」と呼ばれ親しまれている大鳥神社。古くは鳥明神といわれ、日本武尊(やまとたけるのみこと)を主祭神(しゅさいしん)とする区内最古の神社でもある。大鳥神社の縁起をひもといてみよう。


大鳥神社

日本武尊(やまとたけるのみこと)の父、景行(けいこう)天皇の時代、ここには国常立命(くにとこだちのみこと)を祭った社があった。日本武尊(やまとたけるのみこと)は東征の途中、この社に立ち寄り、東夷(あずまえびす)の平定と部下の眼病平癒を祈願したところ、霊験がたちどころに現れた。そこで日本武尊(やまとたけるのみこと)は感謝して、手近に持っていた十握剣(とつかのつるぎ)を社に奉納したという。

大鳥神社の建立には、こうした言い伝えがある。同社の創建年代には諸説あるが、同社縁起によれば「大同元年(806年)に神勅によって社殿を造営された」とある。ちなみに現在の社殿は昭和37年に完成したものである。

ところで、「大鳥」という社名の由来だが、「日本書紀」の記述に「尊(みこと)の亡骸を、伊勢国の能褒野(のぼの)に葬しましたところ、尊(みこと)の御霊は白鳥となり陵(みささぎ)より出て、倭国を指して飛ばれ…」とある。これがいわゆる白鳥伝説の一説で、同社では「尊(みこと)の御霊が当地に白鳥としてあらわれ給い、鳥明神として祀る」とも伝えている。こんなところに「大鳥」と呼ばれるいわれがあるのだろう。

剣の舞

大鳥神社に伝えられている太々神楽(だいだいかぐら)「剣の舞」は、日本武尊の徳をたたえ、十握(つか)の剣を背に八握(つか)の剣を使って踊る荘厳な舞いである。毎年9月9日に近い日曜日に行われる「例大祭」で奉納される。太々神楽(だいだいかぐら)は、神前で祭典中に舞うもので、ヒョットコやオカメが出てくる里神楽(さとかぐら)のようなレクリエーション的な要素はない。「剣(つるぎ)の舞」もまた、剣(つるぎ)で邪悪を払うという古い神事そのものが芸能としての舞になったものともいわれる。

酉の市

11月の酉(とり)の日に行われる「酉(とり)の市」は、日本武尊(やまとたけるのみこと)を祭神とする鳥明神の特殊神事。古代、熊襲(くまそ)や蝦夷(えみし)を平定した尊の戦勝記念と尊が焼津で火難を防いだことに由来する火難除けの神事であったと伝えられる。

「酉の市(とりのいち)」が酉の日に行われるのは、景行天皇紀(けいこうてんのうき)に「27年10月己酉に日本武尊を遣して熊襲を撃つ」とあり、その出発の日が酉の日であったためといわれる。この日、神前には供物として八つ頭と熊手(くまで)を奉納する。八つ頭は、日本武尊が東征の時、八族の各頭目を平定した功業を具象化したもの。熊手(くまで)は、尊が焼討ちの難に遭ったとき先が三方に分かれた金属製の熊手(くまで)を持ってその火を防ぎ、九死に一生を得たことをしのぶものである。

大鳥神社「酉の市(とりのいち)」の歴史は、天保6年(1835年)11月、初の酉の日に下目黒の造り酒屋、大国屋與兵衛が浅草から熊手(くまで)を取り寄せたことに始まるという。もともとは、付近の農民が野菜や実用品を売るために開かれていたらしい。

酉の市

毎年、にぎわいをみせる「酉の市(とりのいち)」。日本武尊(やまとたけるのみこと)の武勇にまつわる八つ頭や熊手(くまで)も、いつのころからか、八つ頭は人の頭に立つように出世できる、熊手(くまで)は家の中に宝をかき込む、という縁起物になっていった。古代の神事に由来し、農民の市として始まったといわれる「酉の市(とりのいち)」が歳月の流れとともにこれらの縁起物と結びつき、庶民に親しまれる「お酉さま」へと変化していったのであろう。

大鳥神社へのアクセス

  • 所在地 目黒区下目黒三丁目1番2号
  • 交通 JR目黒駅・東急目黒線目黒駅下車、徒歩12分。東急バス大鳥神社前下車。


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