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更新日:2014年2月4日

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目黒の坂 行人坂(ぎょうにんざか)

「目黒の坂」は、「月刊めぐろ」1972年3月号から1984年2月号の掲載記事を再構成し編集したものです。

目黒の坂 行人坂

行人坂

行人坂(ぎょうにんざか)は、下目黒一丁目8番の雅叙園西わきを北東へ、目黒川の太鼓橋から目黒駅の東方に上る急坂である。この坂は、江戸時代に権之助坂が開かれる前は、二子道として、江戸市中から目黒筋に通じる大切な道路であった。いまは、権之助坂の方が広くてにぎやかだが…

「江戸名所図会」には「目黒へ下る坂をいふ。寛永の頃、湯殿山の行者某、大日如来の堂を建立し、大円寺と号す」とある。

行人坂という名称は、湯殿山の行者(法印大海)が大日如来堂(現大円寺)を建て修行を始めたところ、次第に多くの行者が集まり住むようになったのでつけられたという。

また、この坂は「振袖火事」「車町火事」と並ぶ江戸三大火のひとつ(行人坂火事)とも関連して知られている。行人坂火事は明和9年(1772年)2月、行人坂の大円寺から出た火が延焼し、3日間も燃え続けたというものである。明和9年の出来事であったので、だれいうとなく「めいわくの年」だと言い出したので、幕府は年号を「安永」と改めたといわれている。

現在、雅叙園のある付近一帯は、かつて「夕日の岡」と呼ばれ、紅葉が夕陽に映えるさまは実に見事で、品川の海晏寺(かいあんじ)とともに、江戸中に知れわたっていたところである。(「明王院の後ろの方、西に向かへる岡をいへり。古へは楓樹数株梢を交へ、晩秋の頃は紅葉夕日に映じ、奇観たりしとなり。されどいまは楓樹少なく、ただ名のみを存せり」「江戸名所図会」)。

行人坂が急坂であることは、権之助坂を下ったところにある「新橋」よりも「太鼓橋」が低い位置にあることからうかがえる。

行人坂周辺の地図
行人坂周辺

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