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目黒の坂 大坂
「目黒の坂」は、「月刊めぐろ」1972年3月号から1984年2月号の掲載記事を再構成し編集したものです。
目黒の坂 大坂
鮎はナーエ…大坂くげんだ団子屋起きたか
この歌は、江戸時代厚木街道一番の難所であった大坂を歌ったものである。大坂の名前の由来は、街道の40余りの坂の中で、最も大きな坂であったというところからきたもので、現在の青葉台から大橋にかかる玉川通りがそれにあたる。
そのころ、相模川でとれた鮎は、厚木から江戸の魚市場へ、夜通し若者たちの足によって、運ばれていた。鮎をかついだ若者たちは、急な坂に息を切らせ、「大坂くげんだ」と苦しさを歌ったという。
この歌に出てくる「団子屋」は、大坂を上りきったところの大きな榎の木の下にあったという茶屋のこと。「団子屋起きたか」と歌われているのは、きっと早くこの茶屋で一服して、苦しかった上り坂の疲れを少しでもいやしたいと思ったからであろう。
大坂は、「玉電」で親しまれてきた路面電車の開通(明治40年)のころから、その姿を変えてきた。新道の開発により、大坂上の桜の木も切り取られ、急な坂も多少は改善されたが、玉電にとっては、最難所となっていた。
大坂
今日では、前述の話からは想像もつかぬほどゆるやかになっている。大坂の真上には、高速道路が走り、区内でも屈指の交通量である。また、路面電車の廃止後開通した地下鉄新玉川線(現在の田園都市線)が、大坂の真下を走り、難所で知られていた大坂も、時代とともに変ってきている。
大坂付近
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