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文化財めぐり(下目黒地域)
文化財めぐりは、2時間から3時間かけて目黒区内の文化財を見学して歩きます。平成23年11月26日(土曜日)に実施した文化財めぐりのコースを紹介します。
文化財めぐり(下目黒地域)の行程
集合
9時30分 目黒駅
見学場所
- 夕日の丘
- ドレメ通り
- かむろ坂
- 目黒不動(瀧泉寺)(めぐろふどう りゅうせんじ)
- 海福寺(かいふくじ)
- 五百羅漢寺(ごひゃくらかんじ)
- 蟠龍寺(ばんりゅうじ)
- 大聖院(だいしょういん)
- 大鳥神社(おおとりじんじゃ)
解散
12時 大鳥神社(おおとりじんじゃ)
文化財めぐり(下目黒地域)の概要
下目黒地域は、目黒区内でも寺社が多く集まり、見所の多い地域です。
前半は、夕日の丘といわれた現在のドレメ通りから、目黒川方面へ歩きます。夕日の丘は、夕映えが美しい江戸期の名所でした。昭和の初め頃には、数百坪を1区画として分譲され、政財界の有力者が多く住んだそうです。また洋装教育の先駆けとなったドレスメーカー女学院も建設され、独特の落着いた街並みが形成されました。
後半は、目黒不動(めぐろふどう)として親しまれている瀧泉寺(りゅうせんじ)、明治40年代に移転してきた羅漢寺と海福寺(かいふくじ)、旧下目黒村の鎮守、大鳥神社など、江戸期を偲ばせる文化財を見学します。
文化財めぐり(下目黒地域)見学場所の解説
1 夕日の丘(品川区大崎四丁目周辺)
淀橋台(よどばしだい)の先端に位置し、目黒川の谷を隔て西の荏原台(えばらだい)と向かいあった高台です。名の由来は、この丘の夕映えがたいへんに美しかったことによりますが、一説では、目黒不動(めぐろふどう)に参詣し江戸へ帰る人がこの丘から振り返ると、荏原台(えばらだい)に夕日が沈む様がまことに美しく、誰言うとなくこの名が付いたといわれています。
2 ドレメ通り(品川区大崎四丁目)
杉野(すぎの)学園は、大正15年(1926年)、東京市芝(現在の港区)に杉野(すぎの)芳子(よしこ)ドレスメーカースクールとして開校し、同じ年の11月に現在の場所に移転して多くの服飾関係者を輩出してきました。特に第二次世界大戦後は、これからは洋装の時代と、多くの入学希望者が押し寄せたということです。学園の校舎がこの通り沿いに並び、現在は“ドレメ通り”とよばれています。
また、この通り沿いには、屋根と周囲をガラス張りにして自然光を利用するグラス・ステージを持つ、日本で初めての映画撮影所が明治41年(1908年)につくられました。
3 かむろ坂(品川区西五反田四丁目)
「かむろ」とは、肩までで髪を切りそろえた児童期の髪型です。遊郭で遊女に仕えた童女がこの髪型をしていたので、狭い意味では遊郭の童女を指します。
かむろ坂の名は、江戸時代の平井権八(ひらいごんぱち)と小紫(こむらさき)の悲恋話に由来します。
遊女小紫(こむらさき)と深い仲となった鳥取藩浪人の平井権八(ひらいごんぱち)は、金を得るために辻斬りを繰り返し処刑されます。小紫(こむらさき)は、目黒不動の近くにあった東昌寺(とうしょうじ)に平井権八(ひらいごんぱち)の墓を訪れ、自害して後を追います。小紫(こむらさき)が帰らないので、店の主人はかむろを様子見に遣わしますが、帰り道で暴徒に襲われ、かむろはこの付近にあった池に飛び込み亡くなりました。これを悼んで坂の名になったと伝わっています。
4 目黒不動(瀧泉寺)(めぐろふどう りゅうせんじ)(目黒区下目黒三丁目20番26号)
大同(だいどう)3年(808年)に慈覚大師(じかくだいし)が開いたと伝わる天台宗(てんだいしゅう)寺院です。
本尊は不動明王(ふどうみょうおう)で、本堂裏には銅造の大日如来坐像(だいにちにょらいざぞう)(目黒区指定文化財)が安置されています。前不動堂(まえふどうどう)(東京都指定文化財)は、やはり不動明王(ふどうみょうおう)をまつっています。
その他、目黒区指定文化財の役の行者倚像(えんのぎょうじゃいぞう)や勢至堂(せいしどう)などがあります。また裏山の墓地には、サツマイモ栽培を広めて飢饉から人々を救った青木昆陽の墓(あおきこんようのはか)(国指定文化財)があります。
5 海福寺(かいふくじ)(目黒区下目黒三丁目20番9号)
万治元年(まんじがんねん)(1658年)、隠元禅師(いんげんぜんじ)が深川に開いた黄檗宗(おうばくしゅう)の寺です。
明治43年(1910年)に現在地に移転してきました。本堂は日比谷にあった中山大納言家(なかやまだいなごんけ)の邸宅を移築したものといわれています。山門の手前には、東京都指定文化財の文化四年永代橋崩落横死者供養塔及び石碑(ぶんかよねんえいたいばしほうらくおうししゃくようとうおよびせきひ)があります。山門の朱塗りの四脚門(しきゃくもん)は目黒区指定文化財です。
境内には、東京都指定文化財の梵鐘(ぼんしょう)があります。また、武田信玄(たけだしんげん)の館にあったと伝わる九重(きゅうじゅう)の石塔がありますが由来など詳細は不明です。
6 五百羅漢寺(ごひゃくらかんじ)(目黒区下目黒三丁目20番11号)
黄檗宗(おうばくしゅう)の寺として、元禄(げんろく)8年(1695年)に本所に開かれました。
羅漢堂のほか螺旋構造(らせんこうぞう)の通路がめぐる「さざゐ堂(さざえどう)」と呼ばれた建物があり、江戸名所として富嶽三十六景(ふがくさんじゅうろっけい)にも描かれましたが、幾度かの天災に見舞われ、明治41年(1908年)に現在地に移転しました。
現在、本堂と羅漢堂(らかんどう)に、松雲禅師(しょううんぜんじ)が浄財を集め十年あまりをかけて彫刻した五百羅漢像(ごひゃくらかんぞう)などのうち、305体が残され、東京都指定文化財になっています。
境内には、戦時慰問(せんじいもん)で広島を訪れ原爆の犠牲となった、移動演劇団さくら隊の原爆殉難碑(げんばくじゅんなんひ)などがあります。
7 蟠龍寺(ばんりゅうじ)(目黒区下目黒三丁目4番4号)
宝永(ほうえい)6年(1709年)、行人坂(ぎょうにんざか)付近にあった称明院(しょうみょういん)(1648年創建)を現在地に移し、戒律を厳守する寺として名を改めました。今でも、参道の右手に酒などの境内持込み禁止を刻んだ結界石(けっかいせき)が残り、戒律の厳しい寺(律院(りついん))の名残を留めています。
本尊の阿弥陀如来坐像(あみだにょらいざぞう)は平安時代の作で、東京都指定文化財になっています。また、山手七福神(やまてしちふくじん)のひとつに数えられ、本堂脇の岩屋には石造の弁財天(べんざいてん)がまつられています。
8 大聖院(だいしょういん)(目黒区下目黒三丁目1番3号)
弘治(こうじ)3年(1557年)に開かれたと言われます。江戸時代は隣の大鳥神社(おおとりじんじゃ)を管理する寺でした。
境内には、織部形(おりべがた)の石灯篭(いしどうろう)が三基あり、切支丹灯篭(きりしたんどうろう)ともよばれています。
これは、千代ヶ崎(ちよがさき)(現在の目黒区三田付近)にあった島原藩主松平主殿頭(しまばらはんしゅ まつだいらとのものかみ)の抱屋敷(かかえやしき)から移したものと伝えられています。
9 大鳥神社(おおとりじんじゃ)(目黒区下目黒三丁目1番2号)
旧下目黒村の鎮守(ちんじゅ)で、ヤマトタケルノミコトを主神としてまつっています。大同元年(だいどうがんねん)(806年)創建と伝えられ、目黒区内で最も古い神社です。
毎年11月の酉(とり)の日に開かれる酉(とり)の市には、縁起物の熊手(くまで)を売る露店(ろてん)が立ち並び、多くの人が訪れます。
また、毎年9月の例大祭には太々神楽(だいだいかぐら)「剣の舞(つるぎのまい)」が、11月の酉の市には太々神楽(だいだいかぐら)「熊手の舞(くまでのまい)」が奉納されます。
お問い合わせ
生涯学習課 文化財係
電話:03-5722-9320