ここから本文です。
文化財めぐり(目黒不動付近コース)
文化財めぐりは、2時間から3時間かけて目黒区内の文化財を見学して歩きます。平成22年11月7日(日曜日)に実施した文化財めぐりのコースを紹介します。
文化財めぐり(目黒不動付近コース)の行程
出発
9時30分 目黒不動尊(めぐろふどうそん)出発
見学場所
- 目黒競馬場跡
- 瀧泉寺(りゅうせんじ)(目黒不動尊(めぐろふどうそん))
- 成就院(じょうじゅいん)
- 五百羅漢寺(ごひゃくらかんじ)
- 海福寺(かいふくじ)
- 蟠龍寺(ばんりゅうじ)
- 大聖院(だいしょういん)
- 大鳥神社(おおとりじんじゃ)
解散
12時 大鳥神社(おおとりじんじゃ)解散
文化財めぐり(目黒不動付近コース)の概要
目黒不動尊(めぐろふどうそん)とその付近は、目黒区内でも寺社が集中し、見所の多い場所です。前半は目黒不動尊(めぐろふどうそん)の西側の住宅地を歩きます。羅漢寺川(らかんじがわ)・入谷川(いりやがわ)の川筋をたどり、目黒競馬場の輪郭が残る道をめぐります。
後半は寺社をめぐります。目黒不動尊(ふどうそん)は古くより霊場(れいじょう)として知られ、江戸時代には行楽地としても大変に賑わいました。
五百羅漢寺(ごひゃくらかんじ)は明治41年(1908年)に本所から、海福寺(かいふくじ)は明治43年(1910年)に深川から移転してきました。
さらに、蟠龍寺(ばんりゅうじ)、大聖院(だいしょういん)をめぐり、大鳥神社(おおとりじんじゃ)で解散します。
大鳥神社(おおとりじんじゃ)には、毎年11月の酉(とり)の日に「酉の市(とりのいち)」がたち、縁起物の熊手を商う露店が立ち並び賑わいます。文化財めぐりの日は、一の酉(とり)で賑わっていました。
文化財めぐり(目黒不動付近コース)の見学場所の解説
1 目黒競馬場跡
下目黒四丁目・五丁目のあたりには、かつて目黒競馬場がありました。第1回の競馬は明治40年(1907年)12月に、4日にわたって開催されました。昭和7年(1932年)には、第一回日本ダービーが盛大に開催されましたが、周辺の宅地化や地代の上昇などにより、第二回日本ダービーを最後に現在の東京競馬場である府中市へ移転しました。
現在、下目黒四丁目の住宅地の道に丸くカーブした競馬場の輪郭が残るほか、バスの停留所名や記念碑が当地の歴史を伝えています。
2 羅漢寺川(らかんじがわ)
羅漢寺川(らかんじがわ)は目黒川の支流の一つで、目黒本町(めぐろほんちょう)図書館(目黒区目黒本町(めぐろほんちょう)二丁目1番)の近くを水源としています。
品川区との境の小山台公園の下、林試の森公園(りんしのもりこうえん)の北、目黒不動の門前、羅漢寺(らかんじ)の前を流れて、目黒雅叙園(めぐろがじょえん)向かいの下目黒二丁目8番付近で目黒川に注ぎます。羅漢寺(らかんじ)は明治41年(1908年)に深川から現在地に移転してきたので、それ以前は川の名称はなかったものと思われます。
現在では、水源から目黒川合流点まで全て暗渠(あんきょ)となっています。この川にはさらに入谷川(いりやがわ)、六畝川(ろくせがわ)、林試の森の中央部を北に流れる川など、いくつかの支流があります。
3 瀧泉寺(目黒不動尊)(りゅうせんじ めぐろふどうそん)(目黒区下目黒三丁目20番26号)
大同(だいどう)3年(808年)に慈覚大師(円仁)(じかくだいし えんにん)が開いたと伝えられています。近世には幕府の保護などで53棟に及ぶ大伽藍を形成し、歴代将軍から江戸庶民にいたるまで幅広く信仰を集め、門前町も繁栄しました。
前不動堂(まえふどうどう)(都指定文化財)、勢至堂(せいしどう)(区指定文化財)は江戸期の建造物で、当時の仏堂建築(ぶつどうけんちく)の姿を今日に伝えています。
そのほか、銅造役の行者倚像(どうぞうえんのぎょうじゃいぞう)(区指定文化財)、銅造大日如来坐像(どうぞうだいにちにょらいざぞう)(区指定文化財)や三代将軍徳川家光ゆかりの鷹居の松(たかすえのまつ)などが境内にあります。
弁天堂(べんてんどう)にまつられている恵比寿神(えびすじん)は山手七福神(やまてしちふくじん)のひとつです。
また、境内裏手の墓地には、甘藷(かんしょ)栽培の奨励にあたった青木昆陽(あおきこんよう)の墓があります。
4 成就院(じょうじゅいん)(下目黒三丁目11番11号)
天安(てんあん)2年(858年)に慈覚大師(円仁)(じかくだいし えんにん)が開いたと言われています。
本尊の薬師如来(やくしにょらい)の蓮華座(れんげざ)を三匹のたこが支える珍しい姿であることから、蛸薬師(たこやくし)とも呼ばれています。
蛸(たこ)薬師は病気除けとして、また「蛸(たこ)」が「多幸(たこう)」に通じると信仰され、絵馬(えま)にも蛸(たこ)が描かれています。
また、二代将軍徳川秀忠の側室お静(そくしつおしず)が、わが子保科正之(ほしなまさゆき)の栄達を願い、大願成就して奉納したといわれるお静地蔵(おしずじぞう)があります。
5 五百羅漢寺(ごひゃくらかんじ)(目黒区下目黒三丁目20番11号)
元禄(げんろく)8年(1695年)、本所(江東区大島)に鉄眼禅師(てつげんぜんじ)が開いた寺です。
明治41年(1908年)に現在地に移り、今日では“目黒のらかんさん”として親しまれています。本尊の釈迦如来像と五百羅漢像(しゃかにょらいぞう と ごひゃくらかんぞう)などの305体の仏像が東京都有形文化財に指定されています。
境内には、移動劇団さくら隊が広島で原爆の犠牲となったことを悼んで徳川夢声らが建立した原爆殉難碑や、高浜虚子(たかはまきょし)の句碑、国の重要美術品の梵鐘(ぼんしょう)などがあります。
6 海福寺(かいふくじ)(j目黒区下目黒三丁目20番9号)
黄檗宗開祖(おうばくしゅうかいそ)の隠元禅師(いんげんぜんじ)が、江戸初期に深川に開いた寺ですが、明治43年(1910年)に現在地に移転してきました。
山門の赤い四脚門(しきゃくもん)は、区の有形文化財に指定されています。本堂前には都指定有形文化財の梵鐘(ぼんしょう)、武田信玄ゆかりといわれる九重石塔、山門手前には都指定有形文化財文化四年永代橋崩落横死者供養塔及び石碑(ぶんかよねんえいたいばしほうらくおうししゃくようとうおよびせきひ)があります。
7 蟠龍寺(ばんりゅうじ)(目黒区下目黒三丁目4番4号)
目黒行人坂付近にあった称明院(しょうみょういん)を宝永(ほうえい)6年(1709年)に現在地に移し、改名再建したのがはじまりです。
参道右手にある「不許辛肉酒入山門(しんにくしゅ さんもんにいるをゆるさず)」の結界石(けっかいせき)は、戒律を厳守する寺(律院(りついん))だったことを示しています。
本尊の「木造阿弥陀如来坐像(もくぞうあみだにょらいざぞう)」は、東京都有形文化財に指定されています。また、本堂わきの岩屋には石造の弁財天(べんざいてん)、弁天堂には木造の弁財天(べんざいてん)がまつられ、山手七福神(やまてしちふくじん)に数えられています。境内にはそのほかに、おしろい地蔵などがあります。
8 大聖院(だいしょういん)(目黒区下目黒三丁目1番3号)
弘治(こうじ)3年(1557年)に開かれたと言われます。江戸時代は隣の大鳥神社(おおとりじんじゃ)を管理する寺でした。
境内には、織部形(おりべがた)の石灯篭(いしどうろう)が三基あり、切支丹灯篭(きりしたんどうろう)ともよばれています。
これは、千代ヶ崎(ちよがさき)(現在の目黒区三田付近)にあった島原藩主松平主殿頭(しまばらはんしゅまつだいらとのものかみ)の抱屋敷(かかえやしき)から移したものです。
9 大鳥神社(おおとりじんじゃ)(目黒区下目黒三丁目1番2号)
大同元年(だいどうがんねん)(806年)創建と伝えられ、目黒区内で最も古い神社です。
主祭神を日本武尊(ヤマトタケルノミコト)とし、国常立尊(クニノトコタチノミコト)と弟橘媛命(オトタチバナノヒメノミコト)を合祀しています。
毎年9月の例大祭には太々神楽(だいだいかぐら)「剣の舞(つるぎのまい)」が、11月の酉の市には太々神楽(だいだいかぐら)「熊手の舞(くまでのまい)」が、神前で舞われます。
お問い合わせ
生涯学習課 文化財係
電話:03-5722-9320