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目黒のみち 文人の散歩道
「目黒のみち」は、「月刊めぐろ」1972年3月号から1984年2月号の掲載記事を再構成し編集したものです。
目黒のみち 文人の散歩道
児等むれて 海老をとるなり 池のへり
第3回菊池寛賞を受けた田中貢太郎(1880年生誕、1941年死去)が、碑文谷池を詠んだ句である。
田中貢太郎は、昭和2年、今の原町ニ丁目3番の原町交番バス停近くに居を移し、文筆活動に務める傍ら、よく付近を散策したという。家の前にあった竹やぶ、円融寺や目黒不動、さらに柿の木坂を下って、今の八雲一丁目、ニ丁目を経て府立高校敷地(現めぐろ区民キャンパス)近くの畑で、たき火を囲んで酒宴を開いたことなど、昭和初期の目黒の風物が随筆の中にしばしば登場している。
原町交番前交差点
当時の地名「荏原郡碑衾町碑文谷」を好み、昭和7年の町名変更の際にも、碑文谷の地名の存続に尽力したといわれる。竹やぶや畑もあった旧居跡付近も今は家がぎっしりと建ち並び、交通量も増えた。
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