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目黒のみち 品川用水跡の道
「目黒のみち」は、「月刊めぐろ」1972年3月号から1984年2月号の掲載記事を再構成し編集したものです。
目黒のみち 品川用水跡の道
品川用水は、五本木三丁目32番で世田谷区から目黒区内に入り、目黒郵便局前を経て、目黒・品川の区境沿いに品川区戸越へ流れていた。
寛文9年(1669年)、幕府が品川領11か村の灌漑用に開削したもので、水源の北多摩郡境村(現武蔵野市境)から品川まで、延々28キロメートルに及んだ。流路が長すぎて、下流の品川では常に水量不足気味であったから、利用制限が厳しく、碑文谷村では約2.4キロメートルも用水が流れていながら、その恩恵を受けることはほとんどなかったという。降雨の少ない年には、やむにやまれず盗水をしてしまった碑文谷村民の記録も残っている。
品川用水跡の道
昭和30年、区内の用水の埋め立てが完了し、現存では清水池公園に移されている大正13年造の「池ノ上橋」が、わずかに用水の面影をとどめるのみである。
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