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目黒のみち 都電の通っていた坂
「目黒のみち」は、「月刊めぐろ」1972年3月号から1984年2月号の掲載記事を再構成し編集したものです。
目黒のみち 都電の通っていた坂
駒沢通りが渋谷区から目黒区に入る辺りは、鎗ケ崎と呼ばれ、その昔は遠く伊豆箱根の山々まで一望できる丘陵地帯であった。
駒沢通りの写真
江戸時代の世田谷道であったこの駒沢通りは、ここから目黒川に架かる皀樹橋(さいかちばし)へ向けて、緩いカーブを描きながら下っていく。この坂は、昭和2年に恵比寿から中目黒まで玉川電気鉄道が敷設された際に整備・拡張された道。玉電は、昭和23年都に譲渡されて都電となり、昭和42年に廃止された。
この坂には名前がない。地図によっては新道坂と記しているが、新道坂は、地下鉄日比谷線の代官山トンネル脇で駒沢通りから分岐した坂の名である。
都電の通っていた坂の上には、三田用水の高架鉄樋があったが撤去されて今はない。
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