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目黒のみち オリンピック道路
「目黒のみち」は、「月刊めぐろ」1972年3月号から1984年2月号の掲載記事を再構成し編集したものです。
目黒のみち オリンピック道路
オリンピック道路
玉川通りと駒沢通りの間、西郷山・蛇崩を経て、東京医療センター裏へ続くバス通りは、通称「オリンピック道路」と呼ばれる。昭和15年に東京で開催されることになっていた第12回オリンピックに備え、競技場建設予定地であった駒沢公園辺りに通じる主要道路として造られた道である。
オリンピックは戦争のため中止となってしまったが、もし開催されていたら、東横線の新線が祐天寺駅から競技場まで開通するはずだったという。オリンピックの開催が交通機関や道路整備計画に及ぼす影響は大きく、昭和39年の東京オリンピックの際も、駒沢通りが整備され、かねて計画されていた環状七号線が、この年、区内を貫いた。
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