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目黒の地名 唐ヶ崎(からがさき)

更新日:2014年2月3日

「目黒の地名」は、「月刊めぐろ」(昭和55年8月号から昭和58年4月号)の掲載記事を再構成し編集したものです。

目黒の地名 唐ヶ崎

その昔、目黒には「崎」の付く地名が三つあった。旧目黒町大字三田の字名鎗ヶ崎と千代ヶ崎、そして碑衾町大字碑文谷の字名から昭和7年10月1日、市郡合併によって東京市目黒区が誕生した後も町名、町会名として存在した唐ヶ崎がそれである。

さて、唐ヶ崎の地名だが、「新編武蔵風土記稿」巻四十六、荏原郡之八、馬込領の項に碑文谷村の字名として掲げられている。また宝暦十三年(1763年)の荏原郡碑文谷村絵図にもその名があり、徳川時代に唐ヶ崎という地名があったことは確かである。

しかし、その名の由来については文献も見当たらず定かではないが、目黒区郷土研究会の都築秀徳氏によると、その語源は谷頭やがしら(現在の目黒本町二丁目一帯)や傘谷戸からかさやととも唐笠谷戸とも呼ばれた地域(旧目黒競馬場辺り)の先地の意であろうと推測している。また同会の山本和夫氏の研究によれば、鎗ヶ崎、千代ヶ崎と同じく、台地の端が平地に突き出ている地形から起こった地名だという。

とにかく今日でこそ住宅と工場が混在する地域となったが、かつてのこの地域は、旧品川用水(現在の学芸大学駅付近を通り、NTT唐ヶ崎ビル横のバス通りから目黒通りを横切って、本町二丁目交番から品川へ抜ける道)が流れるほかは見渡す限りの畑続きで、明治時代まではほとんど人家もなく、不便な寂しい地域であったといわれる。

なお、ここには大正4年に家畜を飼育して、ワクチンの研究や開発製造する北里研究所飼畜部が設立されたが、都市化の進む中で家畜の飼育に適さなくなったことから、昭和36年12月ついに千葉県へ移転してしまった。その跡地には市外電話の発着信の中継基地、唐ヶ崎電話局(現在のNTT唐ヶ崎ビル)が昭和41年に建設された。当の唐ヶ崎は、同年の住居表示実施により中央町一丁目・二丁目に含まれることになり、その名はついに消えたのである。

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