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目黒の地名 祐天寺(ゆうてんじ)
「目黒の地名」は、「月刊めぐろ」(昭和55年8月号から昭和58年4月号)の掲載記事を再構成し編集したものです。
目黒の地名 祐天寺
「祐天寺」は、比較的新しい地名。昭和43年1月1日の住居表示施行によって、それまでの上目黒四・五丁目、中目黒三丁目のそれぞれの一部分が「祐天寺一・二丁目」となったのである。
付近一帯は、江戸時代に上目黒村と中目黒村に属していたが、明治22年の町村制の施行によって目黒村字蛇崩・田切・原の一部、大正12年には目黒町上目黒四・五丁目と中目黒三丁目の一部となり、昭和7年の目黒区誕生で目黒区上目黒四・五丁目と中目黒三丁目の一部となってから住居表示の施行を迎えたのである。
そもそも地名「祐天寺」の由来は、駒沢通りをはさんで祐天寺一丁目と向かい合っている中目黒五丁目にある名刹「祐天寺」にちなんだもの。
祐天寺は、浄土宗の寺院で、総本山は京都の知恩院。開山は芝増上寺第三十六世法主の祐天上人である。高僧として名高かった祐天上人は、下目黒善久院で念仏を修行した因縁から、この地に念仏道場を建立したいと念願したが、果たせず享保三年(1718年)他界した。その高弟祐海上人が師の遺志をつぎ、江戸幕府に熱心に願い出た結果、八代将軍吉宗はその願いを入れて特別の保護を加えたので、享保五年(1720年)に本堂などが完成し、祐天上人の没年を開山とした。さらに享保七年(1722年)には、将軍家から「明顕山祐天寺」の山号寺号を授けられ、以後、目黒屈指の名刹となったのである。
数ある住居表示名のなかでも、お寺の名称が使われているのはこの祐天寺だけである。
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