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更新日:2014年1月28日

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目黒の地名 青葉台(あおばだい)

「目黒の地名」は、「月刊めぐろ」(昭和55年8月号から昭和58年4月号)の掲載記事を再構成し編集したものです。

目黒の地名 青葉台

駒沢通りを中目黒交差点から恵比寿に向かい、新道坂上の鎗ヶ崎を左折して、代官山派出所に沿って曲がると、うっそうと樹林の繁る目切坂がある。この坂を下っていくと、目黒川に架かる宿山橋に出る。ここから山手通りの松見坂交差点に至る、目黒川に南面する淀橋台地の傾斜地が「青葉台」である。

「青葉台」は、住居表示が実施された際に生まれた新しい地名で、一帯はかつて目黒町大字上目黒字別所、柳町、氷川と呼ばれ、昭和7年10月からは上目黒一丁目、六丁目から八丁目、駒場町の一部となった。付近には旧鎌倉街道の目切坂をはじめ、大坂・松見坂・相の坂・上村坂など坂が多い。

西郷従道邸西洋館(重要文化財。現在は明治村に保存)

富士の眺めもよく、名所江戸百景で知られる目黒元富士(目切坂旧根津邸)や桜の名所目黒川は、江戸の人びとの行楽の地でもあった。明治の初めには高台に西郷従道侯の広大な屋敷が建ち、明治天皇の行幸もあったためか地元では西郷山と呼ばれ、区内でも由緒ある地域であった。

「青葉台」の名は、付近に樹木が多いことから、木芽時ともなると、一帯が青味がかった風になるため、そのように命名されたらしい。近年は、山手通りにマンションや事務所が建ち並び、昔の風情は失われたものの、一歩奥へ入るとまだまだ閑静な住宅地である。また、従道候の屋敷跡は、西郷山公園、菅刈公園として整備され、当時の風景に思いをはせることができる。

ちなみに青葉台一丁目・二丁目は昭和43年1月1日に、三丁目・四丁目は翌年同月に、住居表示が実施された。

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