更新日:2014年2月3日
「目黒の地名」は、「月刊めぐろ」(昭和55年8月号から昭和58年4月号)の掲載記事を再構成し編集したものです。
目黒の地名 自由が丘
現代感覚にあふれるしゃれたショッピング街と山の手らしい閑静な住宅街が共存するまち「自由が丘」。今日のそんな町並みにいかにもふさわしい斬新な地名だが、その由来は、東横線・大井町線が相次いで開通した昭和初期にさかのぼる。
現在の緑が丘地域とともに、江戸時代以来の字名「
さて、その二年後の昭和4年、大井町線が大岡山から二子玉川まで延長されるに際して、「
以後、駅周辺に移住してきた人たちは郵便物に「自由ヶ丘駅前O番地」と書くようになるなど、「自由ヶ丘」は次第に地名化し、昭和7年6月、耕地整理組合の努力もあり、これが町名として正式に認可。同年10月の区制施行による町名整備を待たず、「碑衾町大字自由ヶ丘」として新地名がスタートすることとなった。
自由が丘夜景(昭和40年ごろ)の写真
なお、町名「自由ヶ丘」が「自由が丘」に改められたのは、昭和40年1月1日の住居表示実施の際。駅名が同様に改められたのは、翌年1月のことである。
