更新日:2014年2月3日
「目黒の地名」は、「月刊めぐろ」(昭和55年8月号から昭和58年4月号)の掲載記事を再構成し編集したものです。
目黒の地名 大原町
そもそも「大原町」は、一帯が大きな原っぱであったことにちなんだ地名と伝えられている。そこでその大きな原っぱの歩みを紹介してみよう。本区の南西端に位置する「大原町」は、隣りの世田谷区にかけての一帯が、原野でウサギ、野鳥などがたくさんいたといわれている。
その一帯に東京ゴルフ倶楽部がオープン(敷地の大部分は世田谷区駒沢側)。各国大公使、華族なども名を連ね、野鳥が飛び交う原野は、一大社交場と化した。その後、目黒蒲田電鉄(今日の東京急行電鉄株式会社)がゴルフ場を譲り受け、昭和7年、パブリックコースとして、駒沢ゴルフ場がオープンしたが、好評を博し、自由ヶ丘駅には専属の送迎自動車を常備させたほどであった。
東京オリンピック 聖火リレー
その後、軍に接収され、戦後は都営競馬場誘致の動きもあったが野球場となり、東映フライヤーズ(現北海道日本ハムファイターズ)のフランチャイズ球場としても使われた。そして昭和39年の東京オリンピック開催会場となって、今日の駒沢オリンピック公園となったのである。
この「大原町」が本格的に開けたのは、戦後からオリンピック開催を目指した昭和三十年代であったが、奇しくも、オリンピック開催年に地名「大原町」は姿を消した。
