トップページ > 文化・スポーツ > 巡ろうめぐろ > 歴史・史跡 > 地名・ゆかり > 目黒の地名 油面(あぶらめん)

更新日:2014年1月29日

ページID:1760

ここから本文です。

目黒の地名 油面(あぶらめん)

「目黒の地名」は、「月刊めぐろ」(昭和55年8月号から昭和58年4月号)の掲載記事を再構成し編集したものです。

目黒の地名 油面

「油面(あぶらめん)」は、衾(ふすま)・碑文谷(ひもんや)などとともに、初めての人にはまず読めそうにない地名の一つ。もとは、現在の中町一丁目に、同二丁目、中央町二丁目の一部を加えた一帯の旧字名だが、その名は、油面(あぶらめん)小学校、油面(あぶらめん)公園をはじめ、商店街通りや交差点、バス停などに今も残り、「住区」の名称ともなっており、その長い歴史に新たな一ページを加えている。

油面公園

さて、「油面(あぶらめん)」の地名は、多くの地名の例に漏れず、土地の産物にちなむもの。江戸時代の中ごろから、この辺り一帯では菜種の栽培が盛んとなり、絞った菜種油は芝の増上寺や、その流れをくむ祐天寺の灯明用として使われていた。この油の奉納に付随して、絞油業に対する租税が免除されていたらしく、油製造により税が免ぜられている村、すなわち「油免」が、いつしか「油面(あぶらめん)」となったと伝えられる。

ただし、「面」については、韓国などで、村長のことを面長といっているように、「村」の意味とする説もあり、この説によれば、「油面」は、単に「油のとれる村」の意味となる。

なお、菜種の栽培は昭和の初めごろまで行われ、開校当時(大正14年)の油面小学校は、菜の花畑と竹やぶ、雑木林に囲まれた、畑の中の学校だったという。路線バスが商店街や住宅地を縫うように走る今日の町並みからは、想像もできない風景である。

お問い合わせ

区民の声課 区政情報コーナー

同じ分類から探す

一緒に読まれているページ