更新日:2014年2月3日
「目黒の地名」は、「月刊めぐろ」(昭和55年8月号から昭和58年4月号)の掲載記事を再構成し編集したものです。
「柿の木坂」は、環七通りと目黒通り、そして柿の木坂通りの三本の道で区切られた閑静な住宅地。そのほぼ中央を呑川の浅い谷が縦断しているところから、その名のとおり全域がゆるやかな傾斜地だが、この地名「柿の木坂」は、元来は、環七通りの交差点から都立大学駅辺りまで下る目黒通りの坂の名。現在は真っすぐでなだらかだが、かつての「柿の木坂」は、西側へ大きく湾曲した急坂で、神田や京橋の市場へ野菜を出荷するため、この坂を通らなければならない目黒や世田谷の農民たちにとって、道中屈指の難所であった。
さて、この坂の名の由来については、次のように諸説がある。
柿の木坂陸橋(昭和44年)
なお、現在の東が丘と八雲の一部とともに「東根」の名で呼ばれてきたこの地に「柿の木坂」(当時は「柿ノ木坂」)の町名が採用されたのは、目黒区が誕生した昭和7年のことである。