更新日:2020年12月11日

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目黒の地名 目黒(めぐろ)

「目黒の地名」は、「月刊めぐろ」(昭和55年8月号から昭和58年4月号)の掲載記事を再構成し編集したものです。

目黒の地名 目黒(めぐろ)

目黒区の目黒という地名は、一体、何に由来しているのだろうか。興味を抱いた先人、今人たちはさまざまな説を展開しているが、残念ながらその真偽は明らかではない。その説とは。

馬畔説

めぐろの「め」は駿馬の「め」、すなわち馬という意味。「くろ」は畔(あぜ)、すなわち畔(あぜ)道を意味する。従って「めぐろ」は、馬と畔(あぜ)道を意味する馬畔(めぐろ)という音から生まれたという説である。
駒場、駒沢、上馬、下馬などの地名が目黒周辺にも残っているように、昔、関東地方には馬の牧場が多かった。牧場を管理している人は、畔(あぜ)道を通って馬を見回り、その畔(あぜ)道の中を自分の縄張りとしていたのである。「目黒区史」(昭和36年発行)では、この説を妥当ではないかとしている。

地形説

「め」はくぼ地とか谷を、「くろ」は嶺を意味する。従って、めぐろは地形を表す「め」と「くろ」という音が結合して、地名となったという説である。つまり、目黒川と谷を囲む丘陵地帯から起こったという説。

馬の毛色説

黒色の馬のことを驪「くろ」と書き、また「め」は「愛でる(めでる)」のようにかわいいとか優れていることを意味する。昔、当地に馬の牧場があり、優れた黒馬がたくさんいたため、愛驪(めぐろ)が地名となり、目黒に転化したという説。

目黒不動説

目黒、目白、目赤、目黄、目青の五色の不動尊が実在し、当地に目黒不動尊があるところから、目黒という地名が生まれたという説。

このほかに、大鳥神社や、豊かな地味にちなんだ説などもある。

鎌倉幕府の公的記録をつづった「吾妻鏡」では、建久元年(1190年)11月の条に、武蔵武士目黒彌五郎が頼朝上洛の際の後陣随兵として二十七番目に記されており、歴史上では鎌倉時代までさかのぼれる「目黒」。残念ながらその由来は定かではなく、いにしえへのロマンをかきたてる。さて、あなたはどのように。

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